直木賞作家の藤本義一さんが、肺炎のために10月30日午後10時18分に兵庫・西宮の病院で亡くなった。
79歳だった。
ネットにも載っていないからオレの記憶だけだが、藤本さんを怒らせてしまったことがあった。
いまから約30年ぐらい前の話だ。
藤本さんのお母さんが自殺した。
週刊女性の記者だったオレは、藤本さんの母の死を取材することになった。
兵庫で取材を続けたオレは、周囲の取材は出来たが、藤本さんご夫妻の取材が出来なかった。
締め切りまで連絡が取れずに、記事を書くことにした。
作家というよりも、当時はマルチタレントとしてテレビで活躍している印象だったし、元新聞記者の夫人もタレント活動を続けていた。
オレは“自殺した”という事実だけを書いた。
取材を申し込んでいたから、当然名刺は藤本さんに渡っていた。
発売日に、藤本さんから怒りの電話が入る。
「君は、自殺と書いたが、どんな状況で暮らしていたか分かるのか。小説にしても1冊や2冊じゃ書ききれないものを、たった3ページに書きやがって」と、ものすごい剣幕。
「母は、痴呆症で、家族がどんなに苦しんでいたか。母が買ってきたお饅頭も怖くて食べられない生活をしていたんだ。分かってないだろう」と。
確かに分かっていなかった。
こちらはあくまでも女性週刊誌。
藤本さんの母の自殺を取り上げただけだ。
考えてみたら、藤本さんの小説や随筆を担当している出版社の週刊誌は、知らなかったのか、一行も触れていなかった。
逆に言えば、オレの雑誌社が、藤本さんとお付き合いがなかったということだったのか。
とにかく記事は出てしまった。
オレの取材が行き届き、痴呆・徘徊を記事にしていたら藤本さんは許してくれたのか。
藤本さんの母を亡くした悲しさに踏み込んでしまったことは反省させられたが、オレも記者だったから。
それ以来、一度も会うことはなかった。
オレは当時から読売テレ「2時のワイドショー」という生番組に出演していたから、毎週のように大阪に行っていたのに。
同じスタジオも局でのすれ違いも無かった。
会うことを拒否していたわけじゃなかったが、あのままになってしまった。
藤本さんは、ずっと週刊女性と記事にしたオレを恨んでいたのかな。
多くの人に愛され、多くの友人に囲まれ、多くの作品を残した藤本さんとの忘れられない出来事だった。
COMMENT FORM