大手芸能プロダクション・サンミュージックの会長・相澤秀禎さんが、23日に亡くなった。83歳だった。
穏やかな人で、誰からも愛された人。
オレが芸能界で仕事をするようになって2番目にあった人だ。ちなみに、最初の人は、オスカープロダクションの古賀誠一社長だった。映画の松竹が、歌手・黛ジュンさんの大ヒット曲「夕月」を映画化することになり、その相手役を一般公募すろことになった。そのときに、森田健作さん(現・千葉県知事)を推薦してきたのが、相澤さんだった。見事、森田さんが主役の座を掴み“女優王国”といわれた松竹も森田さんをスターの座に 押し上げようと応援した。オレも、当時、新宿の厚生年金会館の裏にあった立ち上げたばかりのホントに小さな事務所に出張して、相澤さん、現専務の福田時雄さんらと、森田さんのファン作りに精を出した。会報を作ったり、宛名を書いたりした。
都はるみさんが所属していた頃、オレは、はるみさんの旦那になった朝月広臣さんと仲が良く、事務所を通さずに仕事をしてしまい嫌われたことも、酒井法子さんが、ねぎが飛び出したスーパーの袋を持って当時恋人だった脚本家・野島しんじさんのマンション訪ねた姿をスクープして疎遠になったこともあった。
相澤さんといえば、やっぱり頭に浮かんだのが、森田さんだったな。「いや、石川さん。ショックなんてもんじゃないですよ」と、オレの電話に出た森田さんの第一声だった。「西郷輝彦さんが飛ぶ鳥を起こす勢いでスターだったときに、西郷さんのもとを離れ、18歳のオレにすべてを掛けてくれた人でしたからね。いまあるのも300%、相澤さんのお陰ですよ。石川さんもデビューの前から応援してくれていたから分かっていたじゃない。ご遺体が、自宅にも事務所にもないということですから今日はお邪魔しませんが、通夜と告別式には必ず行きます」と、話した。公務が詰まっていて、その両方に出席できるようにスケジュールを調整中だといった。
「検査入院だと聞いていて3回病院に行きましたよ。別れになったのは2週間前。病室に入ったら、相澤さんが立ち上がって『昔話しようよ』と。まさか亡くなるなんて。一回は妻ともお見舞いに行きました 」。
友人の朝月さんのそうだったが、すい臓がんは、分かったときは、もう手遅れなんだよね。
相澤さんのご冥福をお祈りします。
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