オレが、藤圭子さんと最後に会ったのは、もう、17.8年ぐらい前かもしれない。
まだ、宇多田ヒカルが、芸能界にデビューする前だった。
オレがやっていたラジオ日本の深夜の生放送番組のゲストだった。
ゲストはオレが決めていて、再デビューした藤さんの新曲キャンペーンの一貫としてクラウンレコードからの以来だった。
当日、藤さんは、ご主人の宇多田照實さんを伴ってやってきた。
ニューヨークでの親子3人の楽しい生活ぶり、家族で作ったバンドの話、歌手を目指す娘の話などを明るく楽しく話してくれたが、打ち合わせのときに「お願いがあるんです。私の歌はいいから、これ掛けてくれませんか」と、一枚のCDを出してきた。
ニューヨークで収録してきた親子3人のCDだ。もちろん藤さんの
曲もかけたが、ヒカルの歌も流すことにした。
ホントに喜んでくれたことを覚えている。
そして、半年後、ヒカルは、瞬く間にスターへの階段を駆け上ることになった。
このときの同時録音のテープがないのだ。
藤さんが娘を語る貴重なテープ。
制作会社や担当プロデューサー、ディレクターに問い合わせたが、この放送回だけが出てこなかった。
ホントに不思議だったよ。
それにしても、旅芸人の浪曲師と三味線師の娘として貧しい生活を送ってきた藤さんが、札幌・雪祭りのステージで歌っていたところをマネージャーの澤乃井龍二さん(作詞家・石坂まさをさん・享年71)に見初められて歌手の道に進む。
当時、澤乃井さんは「彼女の歌声は、真っ赤な血の滴りだよ。あの声が魅力的なんだ」と言っていたのをはっきり覚えている。
「新宿の女」でデビューっした藤さんは、大スターへの道を登り始める。
澤乃井さんも母子家庭で貧しく育ち、売れない作詞家として頑張っていたことを考えると、ふたりには、相通じるものが会ったのかもしれない。
藤さんが売れて両親の生活が変わり離婚。
娘・ヒカルが売れて、藤さん夫妻が離婚。
因果応報といったら失礼かな。
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