高倉健さん(享年83)に続いて、昭和を代表する俳優・菅原文太さんも11月28日に肝不全のために亡くなっていたことが明らかになった。
81歳だった。
日曜日の夜に、その知らせが入ったのは午後6時過ぎだった。
翌朝に「す・またん」出演があるオレは、裏を取ろうと頑張ったが、結局、確認が取れなかった。
そして、その発表が月曜日の午前中に行われた。
仁侠映画で一世を風靡した高倉さんと実録暴力団路線で活路を見出して大スターになった菅原さん。
どちらも同じような性格だったと思う。
オレが、菅原さんに始めて会ったのは松竹の大船撮影所。
松竹が、東映のヤクザ映画に対抗してヤクザ映画を作ることになったときに新東宝から引き抜かれて松竹にやってきた。
ご本人が、ヤクザ映画に出演したかったかどうかは分からないが、新東宝時代は芽がでていない役者だった。
その後、安藤組の組長だった安藤昇さんが組を解散俳優に転向。
その安藤さんと共演した菅原さん。
女性路線が主流だった松竹には、ヤクザ映画は似合わない。
結局、ヤクザ映画は続かなくなる。
安藤さんが東映に移籍。
安藤さんに誘われて菅原さんも東映に移った。
松竹時代に感じた菅原さんは、キットとした人だったな。
それから20年はたっていただろうか。
六本木の河豚屋さんで菅原さんと遭遇した。
記者に変わっていたオレが、食事中の菅原さんに不躾にも名刺を差し出した。
「辞めちゃったのか。その節は」と、答えてくれた。
オレみたいな駆け出しを覚えていてくれた嬉しさがあった。
女性週刊誌だからヤクザ映画のロケ取材に行ったことが無く、疎遠になってしまっていたが、気になっていた人ではある。
ボランティア活動やガン告白など、ニュースになるたびに河豚屋でお会いしたことを思い出していた。
ご冥福をお祈りします。
また一人、昭和の大スターが消えた。
昭和がどんどん遠くなるね。
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