昭和40年代「新宿ブルーズ」の大ヒット曲を持つ扇ひろ子さんがゲストだった。
新曲「深川美人」が発売されてそのキャンペーンで出演してくれた。
70年前、広島に原爆が投下されたとき、被災地から2,2キロにいて、父は即死。
家の中にいた母と乳飲み子だった扇さんは奇跡的に助かった。
母の実家に預けられ、大阪で働いた母。
ふたりの生活が始まったのは扇さんが9歳のときだった。
母に手を引かれ、習い事の日々。
「子供だから遊びたいのに、母は、将来必ず役に立つと毎日私に踊りや歌などの稽古に連れて行って。恨んだこともありましたが、それが役に立っているんですよね」と言った。
72年に18歳年上のミュージシャンと結婚。
ハワイ・アラモアナで「浅草」という飲食業を始めた。
経営は順調に伸びたが、経営をめぐってご主人と実姉が対立。
「かなり儲かっていました。だから、トラブルになったんです。お金が原因」という事で、3年で帰国。
東京・赤坂でレストランクラブを始めたが、こちらは大失敗。
莫大な借金を抱えることになった。
「高利のお金にまで手を出していましたからね。所属事務所が整理してくれ借金を返す生活でした」と、今では笑えるが、歌手じゃなかったら返せない金額だったらしい。
2年前には胃がんで胃の三分の二を切除した。
「被爆が原因とは言いませんが、被爆者手帳を持っています」。
芸能界の酒豪番付では、常に横綱だった扇さんも、手術以降は酒量も減った。
「胃が小さいですからね。楽しいことや嬉しいことがあった時に、ワインを一杯ですかね」と、話した扇さんは、今年の2月にもステージで倒れたという。
「栃木のディナーショーでした。胸が苦しくなって、歌えなくなった。マネージャーに話したら『ファンがよろこんでいるのに中止できない』と。最期まで歌えたのは、このステージで倒れても本望と思えたことでしたね。終わって救急車で病院に搬送されて。そのときは原因が分からなかった。数日後、他の病院で、心臓に菌が入っいたことが分かりましたが、原因不明。胃の手術で体力が落ちていたことらしい。6月まで安静で過ごして。いまは元気になりましたが、危なかったそうです」と話す扇さんの顔は、輝いていたから、まだまだ大丈夫ですよ。
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