「ビンチャン会」の“お花見ゴルフ”の案内状を書けと、幹事の桜井丈晴さんがうるさい。
「早く出さないと、スケジュールが取れない人が出来ますよ」と。
今年は4月2日。
ゴルフ場の西支配人が「開花予想」して4月のゴルフ開催を決めてきた。
昨年の10月だ。
不思議なことに、西さんの予想が大きくずれたことが無い。
だから、今年に千葉の開花は4月の1週目だと思う。
「秋と春では、春のほうが参加者が多いですから、早めに送って、締め切りたい」と、幹事長の村田陽一さん。
寒いときにはゴルフをしないオレには、まだゴルフという実感は無いが、確実に春に向かっているんだよね。
それもあと2ヶ月。
オレのホンネは、このコンペもそろそろ止めたいと思っているけど、村田さんらが許してくれない。
秋の「ビンチャン会」を最後にしたいな。
あれ、今回で何回目かな。
最初に「ビンチャン会」を始めたのは、若くして亡くなってしまったボイストレナーの上野直樹さんだった。
「ビンチャン会」として、1年に一回、マスコミ関係者を中心に、関東の温泉に泊りがけでの旅行を続けていた中で始まったことだった。
直樹さんが「みんなでゴルフをしましょうよ」と提案した。
オレは「楽しいことは一日一回」と決めていたから、参加することは無かったが、年々人数が増えて行った。
そのうちに旅行会を廃止してゴルフコンペが始まったのだ。
もう、何年たったのかな。
「旅行会をしましょうよ」という声も大きくなっているのは事実。
宿泊もかなり安くなっているようだ。
オレの収入も大きく、元気があった頃は、まだまだホテルや旅館代は高かった。
それをオレの顔や知り合いを頼って「持ち込み1万円」という低料金での旅行会。
群馬の有名温泉では、館内の食事や飲み代もただにしてくれたホテルもあったし、二次会には、ホテルのレストランを開放していただいて、埼玉・三郷の「ごくうラーメン」の大将を招待して、60人分の餃子とラーメンを参加者に振舞ってもらったこともあった。
会費は2万円。
芸者代が70万円を越えたこともあった。
宴会終わりの芸者を連れまわして飲むことが只では無いことを知らない参加者もいっぱいいた。
幹事をしていたラジオディレクターの古田和広さんが、みんなが飲んでいるときにも、一人部屋で寝ないでお金の計算をしていた。
「すいません。これだけ足らなくて」と言う言葉を聞くのが決まっているのだから、彼も飲んでれば良かったんだよね。
その彼も肺がんで亡くなった。
いまは、足らなくなった経費を払う力が無いから無理だけど、スポンサーを探してまた旅行会をしたいな。
あ、芸者代の70万円は、ホテルのオ-ナー社長が「石川さんからは取れないな。いいよ。僕が払いますよ」と言ってくれた。
言葉に甘えてしまったけど、フロント横の事務所で、社長と奥さんの女将さんが喧嘩をしているのを聞いてしまった。
「なんで彼方が払うのよ。おかしくない。どんな関係なのよ」と凄い剣幕だった。
聞かなかったこっとにしてみんなでホテルを後にしたけど、誰と誰と誰が、朝まで芸者を引っ張りまわしたんだろうな。
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