この日のゲストは、神園さやかさん。
2002年の「日本クラウン創立40周年記念新人オーディション」でグランプリに輝き歌手になった。
03年に「初めてのひと」でデビューし、その年の「日本レコード大賞」新人賞を受賞した実力の持ち主。
「「母が、カラオケの先生で、お店もやっていましたから3歳から歌っていました。ずっと歌手になるのが夢でした」と言う彼女は、広島の安芸で生まれた。
広島大学付属東雲中学から基町高校に進んだ。
アナウンス部に席を置き、NHK全国高校生アナウンスコンクールの広島大会で準優勝も飾った。
「アナウンサーになうつもりはありませんでしたが、歌手になるためには、プラスになるかもと思っていました」と、言う彼女は、早口言葉も得意だが、地元のカラオケ大会でも有名だった。
高校2年で状況、所属事務所も決まっていて給料をもらいながら東京の日出学園に通った。
先輩には、山口百恵さんがいる学校だ。
「お金に困ったことはなかったですね。ちゃんとお給料は頂いていましたし、お部屋の家賃も払ってもらっていました」と言うから、ホントにラッキーな歌手生活のスタートだった。
「13年目を迎えました。マネージャーが病気になり、ひとりになってしまい、いまは、ひとりで歌手とマネージャーを続けています。もちろん出会った人達にも沢山応援していただいていて」と言う彼女の瞳が輝いていた。
レインボータウンFMでも勝って番組を持っていたそうで、当時の担当者で、現局長の木下さんは「僕がスカウトしてラジオをやってもらうことになった。歌は上手だし、会話も。全てに完璧だったですよ。不幸なことに、当時の関係者がよくなったんですよ。まだまだこれから大きく花開くひと。僕は期待してるんですよ。彼女が出演すると、このオープンスタジオ前には人だかりの山でしたから」と、熱く語ってくれた。
「料理は出来ませんね。寒いときはひとり鍋ぐらいです」と、笑って話してくれたさやかさんは、健康的で爽やかで不思議なオーラがある人だった。
この日も、スタジオ前には、おじさんファンが集まっていたもの。
COMMENT FORM