6年続けてきた東京・レインボータウンFM「石川敏男の勝手に演歌応援団長」も4月いっぱいでお休みすることにした。
オレのテレビ出演のスケジュールが変わることでの一時的なものだと考えている。
オレにとっては、大好きな演歌歌手との出会いの場だっただけに休止することは忍びないが、とりあえず体制を整えてから再スタートしようと思っている。
で、今月の最初のお客様は「北の傷歌」を歌う走祐介さん。
作曲家・船村徹さんのお弟子さんだ。
高校時代からロックに憧れバンドを作っていた彼が、知人に勧められて歌手の道に進むことになった。
「船村先生にロックを吹き込んだデモテープを送って。馬鹿ですよね。歌手になりたいのに」と。
船村事務所からは、改めて「歌謡曲を歌ったテープが欲しい」と言われ、今度は歌謡曲を吹き込んで送った。
「後で考えたら船村先生の曲じゃなかった」。
それでも半年後には「弟子にする」と連絡が入る。
北海道・網走で生まれ育った走さんは、始めて飛行機に乗って東京・羽田に着いた。
「モワっとして湿気が多くて、こんな町で過ごせるのかな」と言うのが第一印象だったそうだ。
栃木の船村邸に住み込み弟子修行。
「歌は教えてもらえずに、掃除洗濯などの毎日。いつ歌手になれるのだろうと考えながらの生活は10年続いた。「僕が運転して東京に向かう車の中で先生が“歌出すか”と声を掛けてきたときはビックリしました。それまでは、車の中では一言もしゃべらない。ものも食べない。ただ本を読んでいる先生でしたから」とデビューが決まる。
「先生と食事するときは、同じものを勧めてくれるんです。すし店で1貫2000円する握りも一緒.”今は僕のお金で食べているけど、自分のお金で食べられるようになるようになりなさい”と言われて。先生は、食事なんかで差別をしないんです。人としての生き方を習った修行時代でした。まだまだですけどね」と、笑った走さんの顔には、人のよさが出ている。
デビューして7年、「勝負の歳にしたいですね」と言った彼と、東京・門前仲町の「酔月」で、オレの仲間10人と10時半まで飲んで解散。
今日は、栃木・宇都宮でキャンペーンだそうだ。
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