東京・阿佐ヶ谷でで行われた親友の妻・朝月千夏さん主催の第31回「大芸能祭」は、長かったね。
新宿の病院に寄って阿佐ヶ谷の「新東京會舘」に到着したのは11時50分。
5分前には始まっていて、千夏さんの挨拶も後援会の会長の挨拶も済み、来賓で出席した区会議員が「カモメが翔んだ日」を歌っていた。
歌自慢の区会議員だったのだろう。
千夏さんが「早く早く、挨拶して」と、責っ付く。
いきなりステージに立って、お祝いコメントだ。
しかし、オレの頭の中は、なんのパーティーか分からない。
ステージに看板もない。
朝月カラオケ教室の発表会は、例年10月頃に、杉並の勤労福祉会館で行われていた。
午後には大阪行きの新幹線に乗りために、顔だけ出していたイベントだった。
そして、この会場を使うのは「新年会」「新曲発表会」だったから「花見の会」でも開かれていると思っていた。
今年から会場を移しての発表会だった。
だったら、もっとちゃんと挨拶すればよかったと後悔。
都はるみさんと離婚し、テーラーの営業マンと始めた銀座の洋紳士服の仕立て屋の服屋が倒産。
売り上げは順調に伸びていったが、収入は、営業マンの個人のポケットに入れられていたんだ。
5千万円い所の借金を抱えてテーラーは倒産。
あの都はるみさんの大ヒット曲「ふたりの大阪」を朝月さんとデユェツしたときに、相手の名前にしたぐらい朝月さんは信用していた人だったのだ。
会社を潰した朝月さんは、頼る人もないまま朝が矢のスナックでカラオケ教室を始める。
芸は身を助ける、じゃないが、ピアノが弾けた朝月さんにカラオケファンが増えていく。
気が付いたら150人は越えていた。
そこで始まったのが、年に一度の発表会だった。
その朝月さんが啼くなり、その後を継いだのが千夏さんだった。
この日も盛大に盛り上がり、作曲家の松川秀之さん、クラウンの岡本ディレクターらが審査員として参加。
彼らの的確の批評は評判が良かったね。
素人の歌にアタったオレは、疲れ果てて帰るといったら、司会を担当していた古くからの知人・伊藤勉さんが「打ち上げで飲みたい」と言うので付き合うことにした。
「黒いサルビア」がヒットしているゲスト歌手の野上こうじさんの誘ってくれたしね。
で、帰宅は11時。
久しぶりに日曜日の夜の東京で飲んだな。
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