福岡・中州のラウンジで「TOKYOの窓」「よかろうもん」を歌う福富莉袈さんとであった。
笑顔のステキな人だ。
良くある話だが、子供の頃から歌が好きで、カラオケ大会に出場したことが切欠で歌手になったそうだ。
こう書いたら申し訳ないが、曲は出したが“日の目を見ない”歌手はたくさん見てきたし、ヒット曲を出して有名になった歌手よりも歌が上手い歌手もたくさん知っている。
人がいい事で、後ろに引いてしまっている歌手もいた。
歌手には向いていない。
ラジオディレクターだった古田和広さんに仕事をしたのは、昭和60年前だったからかなり古い話だ。
ラジオに本の30分の収録番組「敏と千里の祭囃子が聞こえる」という歌番組。
それから、お相手が変わりラジオ日本の「熱烈・熱愛・大放送」
と言う番組だ。
ビートきよしさんがスポンサーを捕まえてきての深夜4時間の生放送。
これに出演することにならなかったら、オレのラジオ人生はもっと変わっていた。
きよしさんのスポンサーが、投資を勧める牛牧場だったためにスポンサーから撤退。
続けられなくなりきよしさんが降板。
残された番組にオレは引きずり込まれてしまう。
12時からの深夜2時間になってオレがキャスター。
週変わりで演歌歌手で、新曲「しぐれ坂」を歌う真木柚布子さんと引退してしまった歌手の広畑あつみさんが手伝ってくれた。
その後、お相手が天地真理さんに代わったこともあった。
長く長く続いた番組だった。
売れていった人、広畑さんのように引退してしまった人。
いま一歩だが歌い続けている人。
ラジオに本の仕事がなくなり、新しく出来た友人・小嶋英治さんが社長を務める大江戸放送局・レインボータウンFMで6年間も「石川敏男の勝手に演歌応援団長」を務めてきた。
それもこれもいまは亡き古田が教えてくれたものだ。
この話のオチは、ラジオを初めて約40年、たった1回のギャラと帰宅のタクシー代をもらっただけだったと言う事。
一度の出演料が、もし、3万円だったら(古田とは5万円の約束だった)、帰りのタクシー代が貰えていたら。
マンション二つは買えていた(笑)。
でも、オレにとって、そこで出会えた演歌歌手(流行歌)は大切な仲間になった。
いまでもプライベートにお付き合いさせていただいている歌手のいるし、この番組出演時は無名だったが、その後大きく羽ばたいて行った歌手もいる。
で、最近、出会った福留さんだが、売れていないが、やけに輝いている。
彼女の性格なんだろうか。
売れていったって売れたことがくすんでいる歌手だっている。
きっと彼女の前向きな性格なのだろう。
芸能界は辞めてしまえば、それでお仕舞い。
続けることでしか理解してもらえない。
そんな生活を続けている歌手のほとんどが、生活苦の連続と人間関係で壊れていってしまう。
そんな姿もたくさん見てきた。
そんなオレが、福富さんを見て衝撃だった。
日本には、プライベート版を発売し「私は歌手」を名乗っている歌手は2万人以上いると思っている。
CDが売れなくなってしまったレコード会社が、歌手を育てると言う事じゃなく、歌手を作っている。
歌が好きで、歌手になりたい金持ちをみんな歌手にしてしまうからだ。
自分のレコードができ地元で歌手活動ができれがいい金持ちがいる。
残念ながら、この人たちは歌手じゃない。
人の心に突き刺さるような声で歌われたって腹が立つ。
人の心に届いて、安らぎを持たせてくれる歌い手。
オレは、福富さんの輝く笑顔とオーラを感じたときに、彼女の歌がヒットしないのは何処なのだろうか、と思った。
世の中には、切欠さえつかめれば、アッという間にスターになってしまう芸能人もいっぱいいる。
それを考えるのがマネージャーだったりレコード会社だったりするんだろうけどね。
あ、福冨さんは、福岡では有名なのかもしれないな。
だって、昨日の土曜日は、名古屋でショーをしていたと聞くから。
もう一つ言わしてもらうと、芸名が硬いという印象を持った。
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