週刊女性の荒木田範文記者を誘って東京・新橋演舞場の市川右團次さんの襲名興行を観に行くことにした。
藤間紫さんが健在の頃は、市川猿之助さん(現・市川猿翁)さんらと良く長野・軽井沢で会食したこともあった。
そのときのメンバーに、当時の右近さんがいた。
紫さんが生きていたら、オレは右近さんが猿之助を襲名したと思っている。
紫さんは、常に「猿之助の次は右近さんね」と言っていたもの。
紫さんの息子の藤間文彦さんもきっとそう思っていただろう。
しかし、紫さんがなくなって、大きく変わった。文彦さんも猿翁さんの番頭さんじゃなくなったし、昔の「おもだかや」も分解してしまった感じがする。
それだけ紫さんの力が大きかったという事なのだろう。
紫さんに猿之助さんを紹介された頃は、東京・歌舞伎座での歌舞伎役者勢ぞろい新年ご挨拶席順は、下のほうだったな。
中心が尾上菊五郎さん、市川団十郎さん、松本幸四郎さん、中村歌右衛門さん、中村勘三郎さんらがいたと思うな。
それが、紫さんの営業力で「スーパー歌舞伎」を大ヒットさせた猿之助さんが、年々中心に近寄って行った。
その猿翁さんの一番弟子が右近さんだったのだ。
荒木田記者を誘ったのは、彼が、右近さんの襲名を取材したことがあったからだ。
「行きます。行かせてください。観たかったんです」と、荒木田記者。
昼の部を観せていただくことになったが、荒木田記者にも歌舞伎の素晴らしさを感じて欲しいね。
COMMENT FORM