歌謡曲ファンのオレにとっては、やはり作曲家・船村徹さんが亡くなったのはシュックだね。
また一つ、昭和歌謡が消えてしまった。
吉田正さんのときも遠藤実さんのときも市川昭介さんのときも感じたことだ。
「別れの一本杉」
「東京だョおっ母さん」
「柿の木坂の家」
「哀愁波止場」
「王将」
「おんなの宿」
「夕笛」
「矢切の渡し」
「風雪ながれ旅」
「兄弟船」
「みだれ髪」など、昭和の歌謡曲は、オレだって歌える。
その船村さんが16日午後0時35分、心不全のために神奈川・藤沢の病院で亡くなった。
84歳だった。
残した曲は5500曲をゆうに超えている。
昨年10月には、文化勲章も受賞している。
鳥羽一郎さん、走祐介さんなどの約100人の内弟子が育っていった。
みんな船村さんの運転手をしたり、書生、付き人の仕事を担当しながら船村さんの人格や仕事関係を教わってきた。
常宿にしていたのが、東京・九段のグランドパレス。
船村さんは、弟子であっても食べ物を分け隔てしまい。
ホテルの超高級すし店で、弟子にも食事をおごることも日常茶飯事だった。
「いつか自分のお金で食べられるようになれ」というメッセージも含まれていたようだと、弟子の一人が言った。
いつもニコニコしていたイメージが残っている船村さんには、もう会えない。
ああ、 合掌。
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