友人の1回目の「抗がん剤治療が終った」と連絡が来た。
「小さくなることを祈りながら治療を受けている」と、メールに書かれていた。
手術が出来ない彼にとっては、切実な思いだ。
まだ、50歳と若い。
「3月6日から4泊5日の2回目の抗がん剤治療が始まります」とも書かれていた。
昨日、退院して自宅療養。
オレが病院に見舞いにいけるのは6日かな。
とにかく若いから頑張って欲しい。
お嬢さんだって、まだ高校生だ。
治療は栗しいだろうな、と考えていたら知人が亡くなったという知らせ。
彼の奥さんから「2日前に肺炎が分かり、入院して安心していたんですが、昨日の夜、容体が急変して亡くなったんです」と、涙の連絡。
この年になったら、こんな知らせばかりになるんだろうなとは思うが、や はり、嫌な話だよね。
九段下で文久元年からすし店を経営している付き合いの長い親友も腸捻転で東京・三鷹の「杏林堂大学病院」に入院しているという知らせをい阿多抱いたのは昨日の昼。
「週末には、築地の聖路加病院に転院するから」と言った声に元気が無かった。
彼との出会いは約45年前。
週刊誌記者になったばかりのオレを、初めてフジテレビの昼の番組に出演させた人だ。
月の家園鏡さんで81歳で亡くなった橘家園蔵さんと松島トモコさんが司会だった「お昼のゴールデンショー」。
ディレクターだった彼は「来週からは、着流しで、台の上で“瓦版、瓦版だよ”と言う感じで始めたい」と言ってきた。
いまのオレなら平気で受けるが、当時のオレはシャイ。
「無理ですね。記者だけど社員ですよ」 と、答えたら、翌週からオレのコーナーが無くなったというワンマンディレクター。
それからずっと付き合いが続いてきたが、腸捻転で転院という事は、他に悪いところがあるんじゃないかと心配だ。
だから、3日は、大阪から帰ってきて、東京・馬喰町の歯医者に寄って、聖路加病院に行ってから、茨城の友人のご霊前に行くことにしたが、病気と葬儀の話ばかりが続く歳になったな。
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