オレにとっても忘れることが出来ない東日本大震災。
「もう6年もたつのか」という思いも生まれれるが、いっこうに復興はしていないような気もする。
一番大きいのは福島原発の事故。
直らないお荷物を抱えなが ら復興。
それなのにた新しい原発が生まれようとしている。
日本という国は何を考えているんだろうかね。
で、地震のとき、オレは、東京・溜池の全日空ホテルのロビーにいた。
東京スカイツリーを書いた著書「634」の作家・片岡弘さんと待ち合わせをしていた。
2階のラウンジだったが、少し早くついたので1階のロビーにいたときに地震が起こった。
2時46分。
あまりに激しさに、柱の横に付いたが、そこはの下には柱が無いことに気づき慌てて外に逃げたことを思い出す。
収まって、またロビーに戻ったら、またまた大揺れ。
ホテルの前の高速道路に止まったバスが、今にも下の落ちてきそうだった。
実は、待ち合わせをした片岡さんはすでにラウンジで待っていたそうだ。
オレも早くついたのだから、 行けば会えていた。
結局、片岡さんとは連絡が取れず、片岡さんは、ホテル側に交渉して地下鉄もJRもバスも止まった情況で、ホテルの宴会場を肺胞するように交渉していたと聞いた。
さすが、元電通マン。
行動が早い。
オレは、友人の事務所がある銀座に向かう。
人の流れは、全く逆。
銀座方面から渋谷・五反田・目黒方面に向かう人が圧倒的に多かった。
銀座に付いたオレは、友人の会社の6階のエレベーターホールに閉じ込められることになったのは過去に書いた。
携帯は繋がらず、電池は落ちていく。
エレベーターホールに電源は無い。
金曜日の5時半から、月曜日の朝までは誰もこのビルに箱無いという事を確信した時間だったね。
泣くに泣けない。
閉じ込められて2時間。
階下からのかすかな声に大声で 叫ぶ。
階下の着物屋さんに助けられた。
銀座のホステスさんに着物を貸し付けている店で、キャンするを伝えに着たホステスさんの声を聞くことが出来た。
あの「お店休業よ。キャンセルね」と着物やさんに話すスットンキョウな声が聞こえなかったら、本当に月曜日までいたかもね。
2時46分には、黙祷をささげていた。
15893人も亡くなり、いまだに2553人が行く不明と言う大惨事。
オレたちは、一生忘れてはいけない出来事で、風化させてはだめだよね。
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