“芸能人は親の死に目にも会えない”と言う言葉があるけど、たしかにその一面はある。
しかし、俳優と言えども人間だ。
悲しさ、辛さを乗り越えて芝居をすることがホントに美徳なんだろうか。
昔は、芸能人の親の死も家族の苦しみも観客は知らない。
知らされていない。
だから芝居を続けるし、観客もその舞台に感動する。
後に悲しみをこらえて舞台などを勤め上げた“役者魂”に絶賛の声が上がる。
客が知らないという前提なのだ。
悲しみ辛さを観客が知っていて、その上で、その役者が演じる芝居を観て、ストーリーの中に観客は入っていけるものなのだろうか。
見てる客の思いは、芝居とはかけ離れ、どんな心境なんだろうか。
辛いだろうな、と言う思いしか残らないと思う。
これは感動とはいえない。
テレビが、新聞が、雑誌が、ネットが、そべてを明らかにしてしまった中で、俳優が舞台を中止にしてしまうことを誰が不満を言うだろうか。
「観たかったのに」と、不満を言う客はいないと思う。
ただ、穴を開けてしまったら莫大な負債が残ることになるのも事実だ。
でも、オレは、そんな環境の中で普通に芝居をすることのほうが不思議だと思う。
共演者も同じだと思うよ。
悲しみの理由はともかく、悲しみを抱えて演じる芝居に涙する人はいると思うが、それは、演じられている芝居の中身じゃないということだと思うな。
オレの考え方は間違っているんだろうか。
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