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暴力団との交際が発覚して芸能界を引退した島田紳助さん(56)が「京都市内の不動産売買に暴力団組員を同席させていた。暴力団との交際を知りながら所属事務所は、契約を続行していた」と、書かれた「週刊現代」を「名誉を傷つけられた」と、1億5千万円の損害賠償を求めていた裁判は、「真実と信じる相当の理由があった」と、紳助さんの言い分を棄却した。

しかし、吉本興業が、「暴力団と交際を知りながら契約を続けていた」という内容は、名誉毀損に当たると吉本へ1千1百万を支払いを命じた。

この判決に、紳助さんも吉本興業も控訴を決めた。

紳助さんも吉本も「絶対に勝てる」と、考えていた裁判。

負けるわけには行かない。

この判決の持つ意味合いは大きい。

不動産売買に暴力団員が、加わっていたと言われてしまったのだ。

引退記者会見で「暴力団員との写真が出てきたら腹を切る」とまで言い切った紳助さんだったが、記念写真も暴力団員にあてた手紙も出てきてしまった。

その後「昔のことで忘れてた」と、発言しているが、裁判所に、あらためて暴力団員との関係を認められてっしまった感じだ。

ご本人には、二度と芸能界に戻る意志はなさそうだが、いままで仕事を続けてきた所属事務所やテレビ局は、彼を引き出そうとしている。

こんな判決が出てしまったら、周囲がどんなに頑張っても、紳助さんは再びテレビに登場することはありえないね。

あくまでも、裁判にかつことしかない。

そんな中、引退した紳助さんを直撃取材し、告白記事のスクープをした「週刊文春」が、今秋発売号で「3億円事件“白バイ実行犯”と島田伸助の接点」という特集記事を書いた。

なかなか面白い読み物で、またまた紳助さんの芸能界復帰に、新しいハードルが生まれてしまったようだな。
2012/11/01(木) 13:26 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
福岡からの帰りの飛行機。

歌手の畠山みどりさん一行にあった。

営業の帰りだったのか。

ご無沙汰してます、と、挨拶したら「どなたでしたっけ」と、返ってきた。

関東地方のテレビに出演しなくなって約3年、すっかり忘れられちゃったのかな。

畠山さんを週刊誌の記者として取材したのは、もう40年以上前だったからね。

そりゃ忘れられるよね。

その畠山さんも62年に「恋は神代の昔から」でデビューして51年目を迎えた。

最近も8月に発売した新曲「幸せさんよ 出ておいで」のキャンペーンを積極的に続けている話は聞いていた。

お元気そうで何よりだし、移動の乗り物で芸能人の方にお会いできるのが楽しい。

あまり周囲を見回して乗り物に乗っていないけど、週に一度、大阪、福岡を往復していてもめったに芸能人に会えないんだから。

あったときはメチャ嬉しい。

しばらくして、ご主人で元フジテレビの大プロデューサー・千秋与四夫さんも乗ってきた。

千秋さんには、昨年7月に東京・渋谷NHKホールで行われた「50周年記念リサイタル」のご招待された。

客を飽きさせない面白い舞台だった。

羽田について挨拶もしないで別れてしまったから、後で、電話しておこう。
2012/11/01(木) 11:10 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
直木賞作家の藤本義一さんが、肺炎のために10月30日午後10時18分に兵庫・西宮の病院で亡くなった。

79歳だった。

ネットにも載っていないからオレの記憶だけだが、藤本さんを怒らせてしまったことがあった。

いまから約30年ぐらい前の話だ。

藤本さんのお母さんが自殺した。

週刊女性の記者だったオレは、藤本さんの母の死を取材することになった。

兵庫で取材を続けたオレは、周囲の取材は出来たが、藤本さんご夫妻の取材が出来なかった。

締め切りまで連絡が取れずに、記事を書くことにした。

作家というよりも、当時はマルチタレントとしてテレビで活躍している印象だったし、元新聞記者の夫人もタレント活動を続けていた。

オレは“自殺した”という事実だけを書いた。

取材を申し込んでいたから、当然名刺は藤本さんに渡っていた。

発売日に、藤本さんから怒りの電話が入る。

「君は、自殺と書いたが、どんな状況で暮らしていたか分かるのか。小説にしても1冊や2冊じゃ書ききれないものを、たった3ページに書きやがって」と、ものすごい剣幕。

「母は、痴呆症で、家族がどんなに苦しんでいたか。母が買ってきたお饅頭も怖くて食べられない生活をしていたんだ。分かってないだろう」と。

確かに分かっていなかった。

こちらはあくまでも女性週刊誌。

藤本さんの母の自殺を取り上げただけだ。

考えてみたら、藤本さんの小説や随筆を担当している出版社の週刊誌は、知らなかったのか、一行も触れていなかった。

逆に言えば、オレの雑誌社が、藤本さんとお付き合いがなかったということだったのか。

とにかく記事は出てしまった。

オレの取材が行き届き、痴呆・徘徊を記事にしていたら藤本さんは許してくれたのか。

藤本さんの母を亡くした悲しさに踏み込んでしまったことは反省させられたが、オレも記者だったから。

それ以来、一度も会うことはなかった。

オレは当時から読売テレ「2時のワイドショー」という生番組に出演していたから、毎週のように大阪に行っていたのに。

同じスタジオも局でのすれ違いも無かった。

会うことを拒否していたわけじゃなかったが、あのままになってしまった。

藤本さんは、ずっと週刊女性と記事にしたオレを恨んでいたのかな。

多くの人に愛され、多くの友人に囲まれ、多くの作品を残した藤本さんとの忘れられない出来事だった。
2012/11/01(木) 11:09 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
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