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5年前に結婚した女優の藤田朋子さんとアコーディオン奏者で7才年下の桑山鉄也さんの不協和音が聞こえてきていた。

「結婚以来、何処に行くにも一緒に行動していたのに、一緒に行動することが少なくなっている」という理由だった。

次の離婚ターゲットは藤田さん(?)なんて思っていたら、破局説は、あくまでも火の無いところの煙かも。

今週発売の「週刊朝日」が、仲のいい夫婦生活をインタビューしていた。

てxtyちゃん、トコちゃんと呼び合っている。

引用すると、夫「僕が近所のバーで飲んでいるときに、彼女からメールがきたんです」。

妻「あのね、私、この人が酔っ払うとどんなにすごいことになるか、結婚してから知ったんです。前の晩にしゃべったこと、翌朝、何も覚えてないんですよ! 知っていたらあんなメールはしなかった。あのときは夜に地震があって……」。

夫「『いまどこ? 大丈夫?』ってメールがきたんです。『大丈夫ですよ。近所のバーで飲んでます』『誰と?』『一人ですよ』。そしたら『一人は寂しくないですか?』って……。『いや、一人のあなたに言われたくないですよ』って返したら、『私は好きこのんで一人なんじゃないんです。誰も私のことなんかわかってくれないだけです』だって」。

妻「……(苦笑)」

夫「マスターに『めんどくせえなあ』とか見せながら、『俺は藤田さんのことわかっているつもりですよ。僕は藤田さんのこと好きですよ』って返したんです。そしたら『その好きっていうのはどういう意味ですか?人間的に好きって意味ですか、それとも男女の好きなんですか?』……。僕、『うわあ!』って、もう電源切っちゃった(笑)」。

夫「その後、へべれけになって家に帰ったら、今度は電話が鳴って」。

妻「私はその間、ずっと電話の前に正座して、返事を待っていたわけですよ」。

夫「夜の3時過ぎで、僕、もう意識不明ですよ。でも、『どういうことですか』って聞いてくるから……」。

妻「今までもいろいろそういうことがあったんですよ。恋愛対象なのか? 単なるバンドの仲間なのか? これを勘違いしたことで音楽がうまくいかなくなったことが、過去に何度かあったんです。それに30代後半で、もう遊んでいる場合じゃなかった。だからここはハッキリさせないと、と。そしたら彼は『いや、好きですよ』と言った。『その好きっていうのは一生一緒にいてもいいって意味ですか?』って聞いたら『そうですよ』って。『はっ、それはどうもありがとうございます』って言って、電話を切ったんです」。

夫「僕は翌朝起きて、『あれ? 昨日の、夢だったのかな』と。ぼんやりしてたら、彼女からメールがきた。タイトルにハートマークが10個くらいついて、本文にもハートがびっしり。スクロールしていったら真ん中くらいに『この日が来るのを待っていました』……」。

妻「『失敗した!』って思ったんでしょ?」。

夫「うわあ! やっちゃったあ! って(笑)」と、なんだか分からないけど、結婚5年、まだまだふたりは恋愛の真っ最中にいるようだ。
2014/11/07(金) 11:12 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
落語家でタレントの桂小金治さんが肺炎で亡くなった。

88歳だった。

芸能界で、オレが長老になってきた証なのだろうか、福岡で「めんたいワイド」の生放送に出演中から各方面のメディアから電話がかかってきていた。

子供の頃に映画「拝啓天皇陛下様」やテレビドラマ「破れ傘刀舟悪人狩り」を観たことはあった。

その後は、テレビ朝日の「アフターヌーンショー」(当時は教育テレビ)NTV[それは秘密です」などの視界で活躍した人だ。

でも、残念ながら、一度も取材をさせていただいたことがなかった。

コメントが出来ない。

落語家だったが「真打」になっていないうちにやめてしまったから「二っ目」それなのに、周囲から「師匠」と呼ばれることに抵抗を持っていたなんて話は聞いたことがある。

「師匠」の桂小文治さんに相談したら「芸能界ですでに「師匠」になっている小金治が、『師匠』と呼ばれて何がおかしい。いいじゃないか』と、言われて、「師匠』といういう言葉が受け入れられたと言う話を聞いた。

オレが、日本テレビで、芸能リポーターを始めた頃、小金治さんがNTV「ルックルックこんにちは」で、「できるでショウか」のコーナーが出来た。

その頃廊下でお会して「君頑張ってるね」と、声を掛けられたのが最初だった。

その後何度か日本テレビでお会いしたことがあったが、挨拶程度の会話しかしなかったな。

テレビで観ていた人に、気軽にに声を掛けていただいたことが、新鮮で感激で緊張したことを覚えているね。

その後、落語家に戻り寄席に出演していたのかな。

豪邸に住んでいると風の頼りに聞いた。

もっと取材しとけばよかったな。

昭和27年に松竹で映画発出演したときの日当は一日5000円。

二つめの落語家が寄席に出演するときは100円単位(今でも変わらないという噂)だからよりははるかに高かったんだろうな。

当時のサラリーマンの初任給は、1万円にも満たなかったからね。
2014/11/07(金) 11:09 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
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