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昨日のゴルフが、今年最後になりそうだ。

前日の寒さが嘘のように晴れた一日だった。

ベストでも暑い。

例年なら、10月下旬のオレのコンペ「ビンちゃん会」が終わったら、ゴルフはしないと決めていた。

しかし、今年は、弟から「元の会社の役員と11月25に日にゴルフをするから参加しない」と、声を掛けられている。

それじゃ「その前に一度だけ」と行くことにした。

日に焼けるほどの強い日差し。

雲ひとつ無い晴天という日に恵まれた金曜日。

しかし、25日は、関東は雨模様。寒くて雨が降っていたらゴルフはしたくない。

まだ、連絡はしていないが、きっと中止になるから今年の最後になるだろう。

「ホリコシネクタイ」の堀越滋さんから「セブ島でゴルフしない。最高だよ。友人がいるから、一緒に行ってもらえば、料金は一人に一人のキャディーが付いて、二人乗りカートで回って約5千円だよ」だって。

確かに安い。

「泊まるところも大丈夫だから」だって。

行ってみたいね。
2014/11/25(火) 11:11 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
俳優・高倉健さんが11月10日午前3時49分に悪性リンパ腫のために亡くなっていたことが明らかになった。

83歳だった。

東映の仁侠映画に憧れてみていたオレが、初めて高倉健さんに会ったのは、東映の東京撮影所だった。

歌手の江利チエミさんとの離婚の取材だった。

セットから出てきてくれた高倉さんは、オレの質問に「理由?そんなこと聞かれても」と、ボソッと答えてくれた。

映画での高倉ファンだったオレは、その紳士的な人柄にすっかり惚れてしまったことを思い出す。

それから何年が立っただろうか。

北海道・留萌で撮影された映画「駅」のロケ。

出演者などのコーヒーを振舞う高倉さんの姿などをグラビア取材したことも合った。

そのときの写真は、カメラマン石川譲二さんが高倉さんに送って、感謝の手紙を貰ったと喜んでいた。

オレも見せられたが、美しい手書きの文字で、お礼が書かれていた。

しかし、オレはその高倉さんのスキャンダルを追うことになった。

女優・倍賞千恵子さんとの熱愛発覚だ。

高倉さんが、倍賞さんの西麻布のマンションに行く日は、映画スタッフから「○○日には、北海道のロケが始まる。その前日には、倍賞さんの家に行きますよ」と聞かされていた。

倍賞さんのマンションでの張り込み。

隣のマンションから覗いた倍賞さんの家のリビングには、高倉さんがCM出演していた自動車メーカーの大きなポスターが貼られていた。ふたりの交際情報は本当だったと感じた瞬間だった。

マンションのエレベーターが見える位置での張り込み。

マンションの管理人が、エレベーターを止めている。

そこに高倉さんがCMをしていた車に乗って高倉さんがやってきた。

オレたちが飛び出したのが早すぎた。

高倉さんは、オレたちの動きをキャッチしてマンションの駐車場から出て行ってしまった。

慌てて追うオレとカメラマン2人と会社の運転手さん。

高倉さんの顔は良く分かったが、残念ながら写真いは写っていなかった。

4人で高倉さんは確認できた。

でも、この恋はなかったことになってしまう。

始めから無かったのかも知れないが、高倉さんが倍賞さんのマンションにいったのは事実だった。

まだある。

高倉さんがヨーロッパで「エイズ」で亡くなったというニュースが流れたことがあった。

87年ごろだった。

一向に私生活を見せなく、しばらく姿を見せなかった時代だ。

その後、映画「海へ ?See you?」の記者会見だったと思う。

オレは高倉さんに「健さんが、エイズで亡くなったという噂が日本で流れていたのを知っていますか」と聞いた。

高倉さんは、笑いながら「一度殺されて(死亡説の噂で)考えてみれば、命には限りがあるものなんだなと思いました」と答えてくれたのだ。

考えてみたら失礼な質問だったよね。

そんなことまで思い出した高倉さんのニュースだっった。

ああ、合掌。

あの名優・森繁久弥さん(享年96)、俳優・田宮五郎さん(享年47)、そして大女優の森光子さん(享年92)も11月10日に亡くなっている。

四人は、あちらの世界で初共演しているのだろうか。
2014/11/18(火) 14:42 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
ネットでは、今年1月に亡くなった歌手でパーソナリティーのやしきたかじんさん(享年64)の奥さん・さくらさんが、残されたたかじんさんの手紙やメモ、ご主人との出会いから闘病生活までを作家・百田尚樹さんに託して出版されたノンフィクション小説「純愛」を巡り賛否両論の戦いが繰り広げられている。

昨日、週刊誌の記者に聞くまでは熊でオレは知らなかった。

「感動した」

「涙が止まらなかった」と言う声と「うそです。みんな怒り心頭です」

「純愛でもなんでもない。イタリア人と結婚していたさくらさんが、その夫を捨ててたかじんさんに走った」と言う声が渦巻いている。

週刊誌の記者は「たかじんさんは関西では人気があったかもしれないけど、全国区じゃないんですよ。だから週刊誌では取り上げない。でも、もっと盛り上がって、骨肉の争いになったら家も参入しますよ。良い話じゃなく、奥さんがとっている行動に嘘が見えたらね。まだあくまでもネット上の問題だからね。でも、取材していくと、たかじんさんの事務所の問題とか、人間関係、権利の問題とか、中国人の元妻の娘さんの問題とかが浮上してきた。裏が取れないですからね。しかし、誰か資料を基に証言する人が出てくると家も含めて週刊誌が騒ぎ出すかもね。そうなったら止まらなくなるでしょうね」と言った。

あくまでも取材を続けたそうな口ぶりだったが、本が売れていると言う記事以外でホントにスキャンダルとして記事になるのだろうか。
2014/11/18(火) 11:07 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
この日のゲストは泉ちどりさん。

歌手生活45周年を迎える大ベテラン。

78枚目の45周年記念曲「この人生に」が発売になったばかりだ。

「私の人生を歌った曲ですね」という泉さんだが、いまから4年半前に脳梗塞で倒れたことがあった。

「栃木県で新曲のキャンペーンをしての帰りでした。テレビ出演を済ませて、乗っていた車が高速の入り口に指しかかったときに、身体がおかしくなった。下半身がおかしい」で、兄でマネージャーの中山さんが、ビックリして病院に搬送する。

しかし、田舎の小さな病院は検査も出来ずに追い返されたそうだ。

それも数軒。

そのまま東京に帰ることになる。

「東京に着いたのが深夜だったんですよね。覚えていないですけど、その後、2日間は自宅にいた。トイレにもいけないぐらい辛くなって病院に行った。即入院ですよ」と、話していたが、一歩間違えたら大変なことになっていた。

というよりも、入院が遅すぎたぐらいだ。

奇跡的に一命を取りとめリハビリで歩けるほどまで回復して良かったが、大変なことになっていた。

「仕事の前には愛犬との散歩の日々です。朝、まだ暗いうちに」と。

45年前、東映の仁侠映画のように刺青の襦袢を着ての啖呵歌。

放送禁止で、ラジオやテレビで流れることがない歌を歌い続けていた時代もあった。

しかし、このスタイルがクラブやキャバレーなどの地方営業にはなった時代だ。

カッコ良かったもの。

10年後「お吉物語」が発売され大ヒット。

「いままで歌ってこれたのはファンの方たちのお陰です。ホントに感謝しています。頂いた命ですから、これからもうっい続けてお返ししたい」と言った顔が美しかった。
2014/11/18(火) 11:05 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
「す・またんZIP」の出演を終えて、大阪茨木市に向かった。

「ボイス&メンラルトレーニング」の先生の取材だ。

かって「東京Gスポット」という曲を発売しているが、歌声も話し言葉も滑舌も悪いオレが取材者として選ばれたのだろう。

たしかに濁声だし悪声。

そんなオレの声がいっぺんに変わるという。

まさかと思いながら佐藤美紀ディレクターと先生がレッスンをしているという教室に向かった。

聞かされていなかったが女の先生だった。

歌手で「かけがいのないもの」などの曲が入ったオリジナルアルバムを発売している堀澤麻衣子さん。

「声が良くなると人生は楽しくなる」という本まで書いている。

もとも古武道式丹田発声法を研究していた堀澤さんが、米国・ハリウッドで「スターコーチメゾット」を学び、新しい発声法を考え出したそうだ。

CDを出していながら1オクターブの声しか出ないオレが変わるのか。

先生のレッスンで、確かに変わった。

唇をブルブル振るわせる発声練習と発生しながらお辞儀をする練習。

直後、オレの声が1オクターブ半出てしまった。

声も大きくなっている。

もともとオレの声は大きく、あの水沢アーリーちゃんに「声で大きいね。リポーターに向いている」と言われたことがあった。

そして、次は滑舌。

これはしょうがないと思っていたが、左右の親指を頬骨の隙間に差し込んであ・い・う・え・おと3回発声する。

そして、舌を上の歯の裏に付け「ラ」と発音しながら舌の歯の裏に付ける。

「ラ・ラ・ラ」を繰り返す。

早くなると上手に出来なかったが、これで滑舌が良くなったと、先生も佐藤ディレクターもカメラマンも言った。

ホントかな。

そして無事終了。

東京に帰ることにするが、この日はここでもいい運転手さんに出会った。

茨木が、京都に近いのか大阪に近いのか全く分からない。

大阪に向かう新幹線で京都を出てからすぐに茨木があったような気がしていた。

だからタクシーに乗って「京都駅まで」と。

運転手さんが「どちらまで行かれるんですか?」と聞いてきた。

もちろん東京。

「新大阪駅のほうがはるかに近いですよ。30分かからないぐらいです。京都だと1時間以上かかる」と、教えてくれた。

なんと優しい運転手さんだ。

気分良く新幹線に乗り込んだ。

超満員のグリーン車。

こんなに混んだ新幹線は、ゴールデンウィーク以来だったよ。
2014/11/18(火) 11:03 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
月曜日の大阪・茨木で取材があるという。

読売テレビ「す・またん」の佐藤美紀ディレクターとの取材だ。

内容は聞かされていないが、どうやら、オレの滑舌の悪さを強制してくれるらしい。

昔、オレの友人で、上野直樹というボイストレーナーがいた。

割り箸やティッシュ、ピンポン球を口にくわえて発声練習をさせる奴だった。

オレが、歌手の安倍里葎子さんと「東京Gスポット」をデュエットしたときに、オレに無料で教えてくれた。

上野さんも突然肺ガンで亡くなって5年。

ボイストレーナーを見かけると上野さんを思い出す。

彼の遺骨は、上野の墓から何処に移動したのだろうか。

亡くなってから、妻と、その実家とのトラブルで、嫌な思いをしたからな。

昔から葬儀はもめるという典型的なものだった。

ホントのトラブルの原因は知らない。

通夜も葬儀も密葬で行われ、納骨の日に呼ばれた。

浅草と上野の間にあったお寺だった。

住職が上野さんの人となりに感激して葬儀を引き受けたと説明した。

「ある日、こちらに上野さんのお母さまの遺骨を持ってらして、埋葬したいと申し込んできた。それからのお付き合いで。彼が亡くなってしまうとは。離婚したお母さんの墓をズット探していたんですね。じゃ、家でという話になって」だったそうだが、それが実現する前に上野さんは亡くなった。

納骨の日。

上野さんの妻の義父が、突然怒り出した。

「こんなもの(上野さんの遺骨)ここに撒いてしまえばいい。納骨する必要ない」と、上野さんの実妹に怒りまくった。

下町で主新館を細々と経営していた上野さんの義父。

「金銭的に大きな負債があったようだ」という話を後日聞くことになるが、あの場で争ったのにはビックリした。

正直何処までか知らなかったが、俺たちのいないところでして欲しかったな。

変な話を思い出した。

で、月曜日は、大好きな佐藤さんと取材。

凄い楽しみ。

でも、1時の「のぞみ」に乗れなきゃ、ラジオの生放送に遅刻する。
2014/11/17(月) 11:30 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
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