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ラジオ番組の最後のゲスト、小金沢昇司さん
6年続いたラジオ番組の最後のゲストにお願いしたのが小金沢昇司さん。
「春はもうすぐ」という新曲が、未来に向かっていく前向きな姿が描かれているが、小金沢さんこそ、歌謡曲、演歌が売れない時代を嘆いている歌手の一人だ。
デビューして30年を迎える。
北島三郎ファミリーの一人として活躍。小金沢さんを一躍有名にしたのは、口腔用ヨード剤「フィニッシュコーワ」のCM。
「歌手の小金沢君が使っているのはフィニッシュコーワ」と言うフレーズで一気に人気者になった。
3年前に北島事務所を卒業。
歌謡曲の普及に努力している。
「私達の大先輩ディツクミネさんらが歌っていた頃は、演歌なんてジャンルはなかった。きっと流行歌だったんですよ。それに演歌と言うジャンルが加わり。僕らの世代は、演歌jyなく、桑田圭佑さんや松山千春さんらで育った。そして、その下が、氷川きよしさんらの若手演歌歌手。開きがあるんですよ。僕らの時代の演歌歌手ってほとんどいない。先輩か若手。そんな時代に演歌とか歌謡曲とかJーポップとか分けていることがおかしくないですか。いい歌はいい」という時代になるように」と、いつも熱い。
7年前には、認知症になった母の介護をしていた時代もあった。
「近所に姉がふたりいて、助かりました。最後は施設にお世話になり」と、そのときに、介護に疲れている人たちのためにと、施設で「お祭り」をする企画を立てた。
施設に入っている人だけではなく、運営するひと、お見舞いに来る人たちの慰労もかねた。
大成功だった。
「介護疲れの家族の方たちが泣いていたし、施設の人も介護されている人も。歌は、みんなの心をつなぐものと改めて感じました。もちろん、車椅子の母も泣いていました」。
これを切欠に、小金沢さんは、NPO法人を立ち上げた。
「僕たちの歌を聞いてくれる人たちのために歌おう。元気をつけて元気をもらおうと考えた。自分が理事長になります。集めさせていただいた経費で、ひとりでも多くの人に元気を与えたいし、一緒に喜びたい」と、笑った顔に、昔、暴走族だった面影はない。
「二足の草鞋を履くことになりますが、歌の魅力を伝え続けて行きたい。応援してくれる人もいっぱいいますからと。小金沢さんだった、きっとやり遂げられるだろう。
この小金沢さんは、芸能界イチのサーファーなんだ。
「TOKIOの山口達也君が上手いけどね」といっていたが、木村拓哉さんなどジャニーズ事務所の若手は、彼の弟子(?)。
「まだ、湘南伊サーガーがいない時代ですから。漁師さんにスナメリ(イルカみたいな動物)と間違えられて、槍を投げられそうになったこともあったし、叱られたこともあった」そうだ。
2016/04/19(火)
10:48
UNARRANGEMENT
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余震続く中だが、周囲の人は、何も、してあげられないのが、事実
水曜日の福岡「めんたいワイド」の芸能コーナーは、通常通り行うという。
被災地を分かれている大阪ならともかく、熊本・大分に近い福岡での放送は無理だろうな、と思っていた。
昨夜の8時41分ごろには熊本阿蘇と大分西部を中心にした震度5強の余震といえない地震が起きている。
福岡でも、かなり揺れたという。
福岡に行くのが怖いと思ったことはないが、専門家を呼んで被災中継をするのがいいのか、通常の番組に戻すのがいいのかオレには分からないが、「めんたいワイド」は、後者を選んだ。
余震続く中だが、周囲の人は何もしてあげられないのが事実。
日常生活できるような物資などが届いているか見届けるのと少しでもいいから義援金を協力することしか出来ない。
そして、一日も早く揺れが収まることを祈るばかりだ。
テレビで恐怖を伝えたってどうにもならない。
気象庁だって予測が出来ないとギブアップしている前代未聞の内陸地震なのだ。
明日はわが身で、現在、被災していないオレが、出来ることといったら、被災地に少しでも義援金の協力をしたいということだ。
そして、我がままを言えば、この影響で“ハーブ鯖”が、博多駅前の「てっ平」に入荷されていないということが無いように。
しかし、現地は大変だろうな。
熊本県民テレビの荻原編成局長に最初に地震後メールを送った。
「無事です。特番体制です」と言うメールが返って来たけど、その後は、オレも連絡していない。
オレがメールしたのは、前震の直後、その後にはマグニチュード7,3の本震が起こっている。
寝られない情況で指揮をしているんだろうな。
一日も早く、荻原さんの「お疲れ会」が出来たらいいな。
で、もう一つ、現地で取材を続けている後輩記者。
熊本阿蘇にいるらしい。
2日前の話だけど、雑誌を代表して取材に入ったそうだ。
通常の取材と一番の違いは寝る場所がないことだそうだ。
避難所に行くわけにも行かず、レンタカーも借りられなかったようだ。
日曜日には雨も降った。
いまは、何の連絡もないが、どうしているのだろうか、当然東京からも応援の取材記者が来ていると思うが、いまは、連絡が取れていない。
事故にあうとは思えないけど、食べ物がないのと寝る場所がないのがが辛そう。
着替えだって、そう多くは持っていかなかっただろうし。
地元の人も取材に入った記者も取材クルーも、誰もがこんなに長
くなる予想はしていなかった地震だからね。
40年前、オレも芸能記者じゃなかったらだったら先頭を切って取材していたね。
2016/04/19(火)
10:46
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