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ついに腰が壊れた。

今週の7日はオレの「ビンちゃん会・お花見ゴルフコンペ」がある。

前日、栃木・小山の中島一男社長とのゴルフもあったが、こちらは、13日に延期になり、オレのコンペに力が入っていた。

おそらくその日は8部咲きの桜の下でプレーすることになる。

ずっと我慢していたが、昨夜、新橋駅で、落し物をして拾おうとして、歩けなくなるほど腰に痛みが走った。

覚悟を決めて、整骨院に行った。

院長に丁寧にマッサージをしていただき電気治療も。

シップを貼って治療院を出たが「少しに間、腰に負担をかけないで下さいよ。ヘルニアになる一歩手前ですから。ここでちゃんと治さないと」という院長の声が残った。

一生のことだから、歩けなくなったら困る。

かって、目のレーシック治療を受けたとき、先生の「安静にしていた方が」と言う言葉を無視して、忘年会に行ったこともあったけど、歩けなくなるのは困るもの。

皆さんには悪いが、ゴルフ場には行きますが、欠席させていただきましょう。
2012/04/04(水) 12:16 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
古くからの知り合いのロス・プリモスの上野旬也さんから「新曲が出たからラジオに呼んで」と、電話があったのはいつの頃だったのだろうか。

すぐにスケジュールを頂いて出演していただくことになった。

ビックリしたのは、当日、上野さんはロスプリをクビになっていたという話だった。

黒澤明とロスプリモスとして昭和40年代に「ラブユー東京」「たそがれの銀座」など数々の大ヒット曲を持つムード歌謡のグループだ。

黒澤さんが倒れて引退、その後、ロスプリモスとしてをリードボーカルを森聖二さんと上野さんで続けてきていた。

ロスプリの名を残してきたのは、黒澤さんの復帰をメンバーが待っていたからだった。

しかし、09年4月、長い闘病生活を続けていた黒澤さんが亡くなり、その年の9月にはリードボーカルの森さんも心筋梗塞で倒れ、亡くなってしまった。

残されていた7ヶ月のスケジュールは、上野さんが担当してすべてのスケジュールを消化した。

ところが、ここから問題が生まれた。

グループには、ロスインディオスにいた永山こうじさんが新加入して、新生ロスプリとして、レコード会社も変わってスタートを切った。

10年だった。

ロスプリの中で、上野さんがいなくなってロスプリが続くというのは考えられない。

二代目のボーカリストだったのだから。

何か大きなトラブルがあったのだろう。

「クビになっただけ」としか言わないが、作曲家の中川博之さんやクラウンレコードが、新生ロスプリに、いままでロスプリが歌っていた大ヒット曲は、レコーディングさせないと言うところに、トラブルの大きさが伺える。

で、その上野さんは、クラウン35周年記念歌手の青山かおるさんと「ノーチェ・アルバーナ」というユニットを組んで新曲「東京の夜はムーチョ」を発売した。

もちろん、中川メロディー。

ロスプリの匂いのするムードユニットになっている。

期待したいね。

オレのラジオ出演で、ふたりに長野県の女性から花束が届いていたよ。
2012/04/04(水) 12:14 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
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