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朝8時の飛行機で帰ってきたから眠い。

そして、この日の最後が東京プリンスホテルでの山本リンダの歌謡ショーだ。

64歳だとは思えないパワーだった。

年齢はウキペディア調べ。

ホットパンツで♪ウララ ウララ、ウラウラよ~とステージを駆け回り、まったく息切れを見せない。

アメリカ人の父と日本人の母の間で北九州小倉で生まれたリンダさん。

15歳で「困っちゃうな」でデビュー。

あっという間にアイドルになり、翌年にはNHK「紅白歌合戦」の出場する。

舌っ足らずの話し声が受けでアイドルになったのだが、いまだに、当時の雰囲気が残っているのが面白い。

その後ヒット曲に恵まれなかったが、90年代にリバイバルブームが到来して再びテレビでも見かけるようになった、50歳のときに7歳年上の大学教授と結婚した。

結婚生活の話は出てこないが、デビュー当時の衣装で、ステージ狭しと踊り続けるスタイルは、昔も今も変わらない。

60歳のおばあさんの須郷迫力だ。

スタイルだって、とても年齢には見えない。

涙ぐましい努力をしているんだろうな。

オレなんか、チョット油断するとすぐ太ってしまって、またウエストが97センチになってしまったもの。

最近は、シャンソンを歌っていつと言うリンダさんだけど、お客さんは、まだまだ、♪ウララ~を聞きたいんだよね。

で、ここでお仕舞いだと思ったら、女性週刊誌記者から電話。

久々に銀座で飲むことになった。

頭に浮かんだニュースが合ったけど、トイレに入った瞬間に忘れてしまった。

それがなんだったのか、いまだに思い出せない。

それが原因で、酒を飲んでいたのに、あまり眠れなかった。

もう、思い出すことはないんだろうな。

今夜も大手プロダクションの忘年会だ。
2015/12/08(火) 11:02 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
ラジオのゲストは、内モンゴル出身の歌手・オルリコさん。

中国西北民族学院で舞踊を習った。

在学中は、ドイツ、フランス、オランダなどのヨーロッパ公園にも参加した。

03年に日本に来日。

「勉強をして、地元に帰って事務員になろうと思っていたんですよ。母親はモンゴル民族舞踊家として日本で生活していたし、妹・イラーナも馬頭琴の奏者として日本で活躍していた。日本のテレビで『紅白歌合戦』を観て、日本の歌は素晴らしいと思ったんです」と、妹さんが、レコード会社に掛け合って、歌を聞いてもらえるようになった。

スカウトしてくれる事務所があってレッスンに通った。

そしてレコード会社のオーディションに挑戦。

10年に「ひぐらしの坂」で、念願のデビューだ。

亡くなったテレサ・テンさんを髣髴させる様な声と雰囲気が魅力歌手だ。

「似てると言われるのは嬉しい」と素直に喜んだオルリコさん。

新曲「あなたのとなりには」という歌も、伸びのあるきれいな声だ。

「親戚は、モンゴルで遊牧民をしています。日本に来て一番の楽しみは温泉。モンゴルは、基本的にシャワーですから」と言うぐらい、温泉にはまっているそうだ。

母と妹との3人暮らし。

相撲の世界のモンゴル人は日本語が上手い。

12年もいるオルリコさんの日本語は、いまいち。

自宅ではモンゴル語が主流と言うのが影響している。

「相撲の人は、周りは全て日本人。だから上手くなるんですよね。ハッキリした日本語を話したい」と、言っていたが、片言も味があっていいかも。

で、テレサ・テンさんのファンは一杯いるんだから、テレサに似てると言うのを営業に結び付けられれば、彼女の歌も大ヒットする。

NHK「歌謡コンサート」やテレビ東京の「木曜八時のコンサート」で、テレサの歌を歌わせてもらえれば、火が付くと思うんだけどな。

申しわくないが、その前のダイエット、ダイエット。
2015/12/08(火) 11:00 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
今年も始まった東京。

新橋演舞場の「舟木一夫特別公演」。

恒例のようになった公演後のトークショー。

今年も3回予定されている。

第一回は昨日7日。

次は15日。

三回目は20日に決まっている。

12月12日に71歳の誕生日を迎える舟木さんだが、いつまでも若い。

「それなりにですよ。今回のお芝居は、動きが大きくて息切れしちゃう。前だったら、すぐに息が整えられたが、最近は時間が掛かる」と言っていたが、客席からは、彼が冗談で言わない限りは分からない。

それにしても、オレは、新橋演舞場のシアターコンサートには、お付き合いさせてもらっているが、毎回これだけのお客さんを呼べる歌手は、舟木さん以外はいないと思っている。

義理堅いし気遣いの人。

長くお付き合いさせていただいてると、本当に変わらない舟木さんがいるのだ。

お芝居は「気ままにて候」という放蕩三昧した勝海舟の父親・吉の話だ。

「暮れのひととき、のんびりと芝居に歌にくつろいで」というように、楽しく嬉しいコンサートだったね。

舟木さんの「高校3年生」「学園広場」を聞くと、当時の高校時代や清秋時代がフット浮かんでくる。

流行歌には、そんな力がある。

舟木さんが、長く歌ってこられた背景には、同じように年を重ねてきた人たちとの連帯感があるからなんだよね。

「高原のお嬢さん」を聞くと、高校時代に行った林間学校で、憧れだった同級生の女の子の顔が浮かぶもの。

15日には、何を聞いてみようかな、とまた楽しみが増えている。

で、新橋演舞場の千田学副支配人が、支配人になっていた。

舟木さんのパンフレットでは副支配人になっていたから、12月の人事だったんだな。

新曲「春はまた君を彩る」を頂いて帰って、オレの生放送、レインボータウンFM「勝手に演歌応援団長」で掛けさせれもらった。

舟木さんらしいいい曲だよ。
2015/12/08(火) 10:58 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
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