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ゲストは普天間かおりさん。

約570年前に遡れる琉球王朝の流れを汲む家系に生まれたお姫様。

世が世なら首里城が住まいだったらしい。

3歳から歌い始め、沖縄では知る人ぞ知る有名人だった。

中学を卒業して上京。メジャー歌手になった。

シンガーソングライターとして数々の曲を生み出している。

12月3日の東京・上野の文化会館でのコンサートの告知のために「出演させて欲しい」という依頼だった。

「遥かな愛」「祈り」「スマイル・アゲイン」の3曲を掛けながらのトーク。

声が良い。

「え、今声の調子が悪いんですけど」と言っていたが、優しくて伸びのある声質だった。

沖縄と福島が姉妹都市という関係で、裏磐梯の観光大使も勤め、福島で14年も続いている「普天間かおりの真南風便り」と言うラジオ生放送番組を持っている。

「毎週金曜日の1時からの3時間。生放送中の東日本大震災が起こって。それからはずっとボランティアを続けています。福島市内には津波は来ませんでしたが、原発の事故。この問題は解決できていませんし、これから先立ってどうなるか分からない大問題。その福島の人たちに少しでもお役に立てばと続けています」と、話す普天間さんは「戦争の被災地、沖縄の悲劇も忘れてはいけないと思います。美しい海もいいですが、ひめゆりの搭や平和記念公園に行って、悲しい出来事があったことを感じて欲しいですね。そして、二度と戦争のない世界になって欲しい」と、夢を訴えた。

「生まれ故郷の小学校から校歌の依頼があって。うれしかった。その歌が小学校で歌われているんですよ」と。

ホントに、普天間さんの言うように、戦争のない世界の平和がくることを祈りたいね。
2015/11/24(火) 11:08 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
日曜日に大阪の超高級フランス料理店「ラ・フェット ひらまつ」で、読売テレビ「す・またん」のディレクター・西祐輔さんとプロデューサー・佐藤美妃さんの結婚披露宴が開かれた。

ふたりは、9月にハワイで挙式を済ませてきていたが、この日も挙式したらしい。

そして、会場入り口には、ふたりの挙式のスナップ写真が飾ってあって、京都らしい場所で、和装での花嫁・花婿の写真もあった。

えっ、3回も挙式したのかな。

で、さすがミシュラン3星の店。

料理が美味い。

フランス語で書かれたメニュー。

もちろん日本語も。

「赤ピーマンの冷製ロワイヤル ピペラード仕立て」

「車海老のポワレ 古代米のリゾットとタイムの香るプールクレーム パルメザンチーズのチュイル」

「低温で柔らかく蒸し焼きにした真鯛 季節野菜のマリネ 味噌とオリーブのタップナードソース」

「仔牛ヘレ肉アンクルーと ウエリントン風セップ茸のグラタンマッケロンチーニ」

「至福のウエデングケーキ」

「コーヒー」

「小菓子」。

もちろん甲殻類が食べられないオレには、伊勢海老は出てこなかった。

こんな豪華な食事だから、高かったろうなと関心。

西くんから数日前に「芸能人の囲み記者会見みたいのしたいんですが協力して」と連絡があった。

OKだけど、オレは、辻美さんと杉浦太陽くんの出来ちゃった結婚会見で、「なんで避妊しなかったの」と聴いた男だよ。

それでもいいの。

公共の電波で、そうだから「もっとキツイかも」と。

返事がないからビックリしたのかなと思っていたら、会場で、川内天子さん、長谷川まさ子さん、あべかすみさんと囲み取材。

当然、「初めて結ばれた夜の出来事を」と聞いたら、新婦が「私の家で、私が押し倒して」と返って来た。

両家のご両親や親戚の方がいらっしゃるので、ココでやめたが、このふたり、聞いたら何処まで離したんだろうか。

で、3回もお色直しをした披露宴も3時間40分でお開き。

双方の来賓挨拶と、辛坊治郎キャスターの乾杯、読売テレビの同期入社の仲間、それに、オレたちリポーターの記者会見。

余興も何もない。

ホントにスッキリした披露宴。

知らない人の挨拶を聞くよりもよほど良い。

そして、テレビ局に行って翌朝の番組の打ち合わせ。2次会に向かう。

6時半から2時間。

こちらのレストランミシュランの星が付いたレストラン。

新郎が、こんな良い店を知ってるとは思えないから、新婦の趣味だろうけど、美味しいものを食べてるんだと思ったね。

末永く幸せでいて欲しいな。
2015/11/24(火) 11:07 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
金曜日の夕方に、東京・錦糸町にいたから「ホリコシネクタイ」の堀越滋さんを呼び出して、一杯飲もうと思ったら「ごめんなさい。明日、浜松で衣料メーカーのゴルフコンペなんです。だから、いま浜松。素敵なシャツを貰って帰りますからね。3Lで大丈夫ですよね」だって。

酒は断られたが、シャツゲット。

で、錦糸町、人形町、門前仲町方面に相手がいない。

仕方なく銀座に向かう。

「ベローナ企画」の西川かたしさんに会うことにした。

「早く着てよ。明日早いから遅くはなれないけど。今、お客さんといるけど問題ないから」と言われ、銀座のクラブへ。

着いたのは7時半。

ずいぶん早くからクラブ活動だ。

「3人でおでん屋にいて、いま来たばかり。ゆっくりして行って。俺は10時前には帰るから」という事で、9時半に一緒にいたお客さんとも解散。

どこかに寄ろうと思いながら歩いていて、結局、駅に着いてしまった。

電車で帰ことにした。

急行に乗ってから気がついた。

しばらく会っていない元フジテレビの戸張太啓寿さんの九段下の高級割烹「白寿」に顔を出せばよかったと思ったね。

女将さんとも会ってないし、積もる話もたくさんあった。

行こうと思ったことをメールしたら「たまには寄って行ったら。(中略)この年になると何処に行ってもヤマイの話が多くて、石川ちゃんに粋な話を聞かせて欲しいね」と、返って来た。

艶聞豊富な戸張ちゃんの話を聞きに行かなきゃ。

「俺は、クリスマスを過ぎた女は嫌だね」が心情の戸張さん。

25歳過ぎの女性は用が無いそうだけど、今でもそうかな。
2015/11/24(火) 11:04 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
オレの友人の就職問題で動くことになった。

理由はともかく、オレが紹介して、板長として働くことになり、求められるまま身体を酷使して働いていたのは知っていた。

その彼が、病に倒れた。

休むという連絡をしないまま日にちを過ぎてしまい、挙句の果てに入院した。

ストレスで胆石が生まれ、腹痛を抱えて仕事を続けていたために動けなくなった。

すぐに病院に行けば、良かったものを行けない事情があったようで、自宅で寝て過ごす日々が続いた。

だから、病院に行ったときには手遅れだった。

石が癒着して炎症を起こしていた。

お腹から管を差して胆汁を抜き取る手術だった。

今後の生活を考えたら、謝罪して、元の職場に戻る方が良い。

で、オレが中に入ることにした。

オーナー、経理担当の夫人、店長とオレ。

そして、彼との胃話が始まった。

今まで連絡がなく、働いた収入も受けていない。

突然の休業で、釈入金の問題もあり、中途半端にもなっていた。

釈入金は釈入金。

賃金は賃金。

当然支払われることになる。

「いつから働けるの」と、オーナー。

「家は待ってますよ」と。

賃金の支払いの話にもなった。

「今までのようには働けない」と言った彼に「良いですよ。じゃ、週に3日とか4日とか。病院にも行くんでしょうから、時間も一日5時間とか決めましょう」と、オーナー。

ここまでは順調に話が進んでいたが、彼が「他からも声が掛かっているんですが」と言った瞬間にオーナー達の表情が変わった。

当然だ。

「じゃ、家じゃなくて良いですよ。条件の良いところにいけば良いですよ。その方があなたが楽ですよ」とまで言わせてしまった。

彼に他のいく所なんかあるとは思えない。

なんで、そんな馬鹿な話を出すのか。

これじゃ、元に戻れない。

オレは、必死で、その話を打ち消す努力をした。

細かいことは書けないが、腹に入っているパイプを抜いて正式に復帰時期を決めるという話で纏まったが、オレは一苦労。

オーナーは、彼に封筒に入った5万円を手渡してくれた。

「戻ったらちゃんとするけど、とりあえずの資金」と。

オーナーは、彼が金銭的に困っていることを見抜いていた。

とことが、これで、オーナー夫妻がもめることになった。

経理担当の夫人の怒り、悔しさは、手にとるように分かる。

「いつだって、自分で勝手に決めてしまって。しわ寄せは私ですから」と涙ぐんでいた。

夫人が「私は、彼が戻ることは200%嫌です」と言った言葉が、耳から離れない。

その夫人のためにも、もどるなら良い仕事をして欲しいな。

じゃなきゃ、行かなきゃ良いよ。
2015/11/24(火) 11:02 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
またまた{ピンコロ」だ。

大相撲の北の海理事長が直腸がんによる多臓器不全で亡くなった。

62歳だった。

九州場所が行われていて、19日まで公務を続けていたが、20日の朝、救急車で緊急搬送され、夕方の容体が急変して帰らぬ人になってしまった。

史上最年少の21歳2ヶ月で横綱になった記録保持者。

他にも輝かしい記録を残して1985年の初場所で引退。

一代年寄り「北の海」を名乗ってその年の11月に「北の海部屋」を立ち上げた。

02年2月に48歳で理事長に就任したが、相撲界の八百長問題や大麻問題などに弟子が絡んでいたこともあり理事長も理事も辞任。

再び、2012年1月に理事長に復帰していた。

現役時代は「憎らしいほど強い」と嫌われていたが、オレは、その強さが好だったな。

理事長としても、バランスの取れた発言をしていてオレは大好きだった。

九州場所10日目に、横綱・白鵬が対戦相手の栃煌山に「猫だまし」(相手の目の前で両手をパチンと手をたたくこと)を仕掛けたことで、理事長は「やるってのは、なかなかありえない。やられる方もやられる方だけど、やる方もやる方。横綱としてやるべきことじゃない。横綱がやるのは前代未聞なんじゃないの。拍手がないじゃない。お客さんはどう見ているか分からないけれど・・」と苦言を呈していたが、たしかに観客は、あっけにとられていた。

当の白鵬は「楽しかった」と満足げ。

「やぐら投げと猫だまし。今場所は記録じゃなく記憶に残るでしょうね」と強気に言っていたが「横綱としてやるべきじゃない」という理事長の“遺言”を、今後の白鵬は、どう聞くのだろうか。

一度もお会いしたことは無かったが、オレの中では、栃錦さんと大鵬さん、北の海さん、旭富士さんが記憶に残る横綱だったな。

あ、旭富士の伊勢が浜親方は健在ですよ。

伊勢が浜親方の優しさと人のよさが好きだな。

ところで、次の理事長は誰だろうか。

北の海さんのような人がいるのかな。

伊勢が浜親方が良いけど、体調がよくないからな。
2015/11/24(火) 10:59 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
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