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ゲストは「桜の花よ 泣きなさい」の五木まりさん。

京都生まれ、宝塚育ちの彼女は、昭和女子大美学部を卒業して東京工業大学研究室で寺院建築を学んでいた。

目標は建築家。

その人生があっという間に変わってしまう。

日本シャンソンコンクールに出場して優勝してしまう。

「実家が宝塚だったので、小学生の頃は歌劇団に憧れてボイストレーニングはしたことがありましたが、芸能蟹の待った興味がありませんでした」という五木さんは、コンクールのポスターを見て、1年間レコードで覚えた。

ヨーロッパ旅行という景品に釣られた。

思惑通り優勝を手にする。

しかし、ここからが人生の誤りだったという。

「契約書にサインしたんですけど、ちゃんと読まなかった。2年間はシャンソン歌手をするという契約でした。嫌で嫌で、でも契約してしまったから続けなくてはいけない」と言う事で、歌手の道に入ってしまう。

芸名は作家の五木寛之さんが付けてくれたのを3年前に知ったという。

「理由も知らずに“五木まり”だと、楽屋で“ゴキ(五木)ブリ(まり)”とからかわれて、それが嫌で、かってに「樹摩璃”と名乗っていました。「気が付いたら42年もシャンソンを歌ってきていて。止めよう止めようと思いながらね。でも、歌が人に勇気をあげられると言う事も感じていた」五木さんに、歌謡曲歌手のオーダーが舞い込む。

カップリング曲「ソフィアの子守唄」は五木寛之さんの作詞で、そのときに芸名の由来を聞かされ、元の五木に戻したそうだ。

4月4日には千代田区の内幸いホールでコンサートを開く。

「まだ音域が広く歌えるんですよ。練習もしていないのに」と、少し自慢した五木さんだったけど、ホントにステキな声で、心が安らぐ。
2016/03/22(火) 10:48 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
千葉・松戸の千葉北総合病院に入院していた清原和博被告が転院していたことが、スポーツ報知の取材で明らかになった。

一日5万円以上の個室に入院し、糖尿病に治療に当たるといわれていた清原被告だが、突然の転院には、入院先の病院が、公になってしまったことへの戸惑いか。

前日には、清原被告の姿を捉えようと病院前に張り込んでいたマスコミに、清原被告自身が行きつけの新宿の焼肉店から30人前の焼肉弁当が届けられた。

試食した社もあったようだが、大半の社は清原被告側に返品したと言う。

清原被告の直筆メッセージでも付いていれば、もっと反応が違っただろうが、焼肉店のものと言われたって、知らない男性ふたりが届けてきた弁当には手を出しづらい。

食べ物ですからね。

焼肉弁当には、店名も入っていなかったようだし。食べた人は「肉が柔らかくて美味しかった」と表現していた。

で、その清原被告は、何処に転院したのだろうか。

都内近郊の糖尿病も精神的なカウンセリングの治療も出来る施設に移ったとスポーツ報知は伝えている。

逮捕されたショックと後悔の日々で、落ち込みが激しく欝状態だそうだ。

清原被告には、覚醒剤から切り離す生活だけじゃなく、身体に作ってしまった刺青の処理も同時に行わないといけない。

「必ず更正することを決意します。必ず人の役に立つ人間になることを誓っております」と、保釈時にメッセージを残した清原被告が、再び野球の世界に戻るには、一番いらないのが刺青だからね。

それにしても電撃転院は、初めからの計画かもね。

マスコミに追われ、一時避難で選んだ病院で、同じグループの他の病院に転院したと思うね。

東京近郊には、徳洲会グループの病院はいっぱいあるからな。
2016/03/22(火) 10:46 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
いよいよ関東地方も桜が咲いてしまいそうだ。

少しでもいいから千葉は遅れて欲しいな。

4月2日の「ビンちゃん会」。

ゴルフ場の西支配人が、例年よりも1週間早く予定を立ててくれたコンペだったが、今年の異常気象で、それでもまだ遅い日になってしまったのか。

気になるよ。

桜の花びらがチラチラ落ちだしたときのプレーは、ホントに綺麗なんだ。

まあ、ゴルフに夢中で、周りの景色を見られない人もいるかも知れないが、スコアよりもお花見ゴルフなんだから。

今年もステキな景品が届くことになっている。

牛肉、新鮮野菜、北海道・オホーツクのきんきなどなど。

もちろん会からは、テレビなどの豪華な電気賞品もある。

考えてみたら、テレビとかブルーレイって、いまの時代でも豪華賞品なのかな。

オレだったら、新鮮野菜やきんきがいい。

で、気になるのが、北海道・斜里の漁師兼歌手の川村正幸さんは、漁に出られるだろうか。

オホーツクの流氷はどうなっているのだろうか。

気になるな。

数年続けて送っていただいている。

「昨年のものはすべて売ってしまってて、冷蔵庫は空ですからね」といっていた言葉を思いだす。

「男オホーツク」「北波止場の店」「友よありがとう」を歌う川村さんは、漁師との二足の草鞋を履く歌手。
2016/03/22(火) 10:44 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
雨の中、両親の埼玉の実家に車を走らせていた。

大渋滞だ。

11時に家を出たが、これでは何時に着くか分からない。

別の機会にしようと言う思いが生まれた。

自宅を出て約1時間。

まだ、埼玉との県境の流山橋にも届いていない。

ここでとんでもない出来事が起こった。

Uターンしようとして縁石に乗り上げてしまった。

激しい雨で見えなかったこともあるが、車の下の部品をカバーしている蓋が、割れてしまって引きずるようになってしまっていた。

走るたびに車の下から異常な音が聞こえる。

大雨だから車から降りる気がしない。

ガソリンスタンドにスタンドに入って見てもらおうとしたら、従業員が「カバーを引きずっていますよ」と。

縁石に乗り上げたときに壊してしまったのだ。

修理に出さないといけないと言う思いで返って来たが、あのまま先に進んでいれば、壊さなくて済んだという思いが生まれて何故かシャクにさわった。

とくに、1時を越えたぐらいからは雨もやんで、薄日が差してきたからね。

こんな日はサンリンボウだ。

買い物に行っても重要なものを忘れてしまう。

今日は、気をつけよう。

実家には火曜日に行こうと思う。
2016/03/22(火) 10:42 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
池袋のデパートに行ったことはあったが、町を歩くのは40年ぶりぐらいだ。

オレの記憶では、サンシャインビルに行ったことだ。

その周りにあった映画館に、松竹時代の先輩が勤務していて訪ねたこともあった。

その池袋の町で、グリーンシアターを探すのに苦労した。

最終的には、住所で行き着くことになるのだが「池袋の39番出口を出て2分」と、メールが来たので、地下道で39番出口を探すが、全く分からない。

案内係りに説明してもらい、その方向に進むが、39番出口が無い。

西部デパートの地下をぐるぐる廻ったね。

何のことは無い、外に出て南池袋2丁目を探したらすぐに分かったし、グリーンシアター通りという看板もあった。

何時までも地下にいなきゃ良かった。

で、グリーンシアターでは「スペシャルミュージックライブ」が、開かれていた。

目的は、「情熱の砂嵐」を歌う「りんともシスターズ」の歌声を聴きに行ったこと。

「りんとも」のライブだと思っていたら、いろいろな歌手が登場したが、やっぱり「りんとも」の歌声は素晴らしい。

ザ・ピーナツをカヴァーして歌う姉妹だが、聴きやすく素晴らしいハーモニーだ。

オレも演歌のラジオ番組を持っていたが、春のテレビの改編で、休ませていただくことにした。

ラジオ番組が続いていたら、出演して欲しいと思った歌手の方もいたが、お願いされても断っただろうなという歌手もいた。

オレの自論だが、高音を歌うときに、喉を絞って歌う歌手の声は聞きづらい。

心に突き刺さるぐらいに嫌な声。

「りんとも」のように、心に届く歌声がいい。

ライブを聞きに行って、残念だったのは、スピーカーが足らなかった。

あと2台は欲しかったな。

それと、カラオケの音が大きすぎたこと。

会場の最後尾にプロのミキサーの方がいたが、気が付かなかったのかな。

オレの席では(ステージに向かって左端・前から7番目ぐらいだっかかな)カラオケの音が大きすぎて、歌手の方たちの声が良く聞き取れない人もいた。

何回も書くけど、「りんとも」は良い。

最高だ。

オレが、ザ・ピーナツの大ファンだったという事もあるのかもしれないけどね。

「りんとも」が、アカペラで歌ったテレビ番組「シャボン玉フォりデー」のテーマソングが頭から離れない。

楽しいライブだったな。
2016/03/22(火) 10:41 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
彼岸の墓参り。

オレの両親が眠る柏・西光院に行った後に、カミさんの両親、兄、甥っ子が眠る墓にもお線香を挙げに行った。

雨に降られるのが嫌で、好天の木曜日に行った。

今日はこれから、両親の実家に向かう。

雨が降っているが、墓に行くわけじゃないから大丈夫だ。

オレも歳を取ったから、彼岸だとか、お盆だとかというと特別な思いに駆られるようになった。

もう少し親の言う事を聞いておけばよかった何て思ったりして。母親の実家に行くと、オレが小学生だった頃に、親父の会社が倒産し、半年間だけ預けられ、生活していたことを思い出す。

ここでの生活で、今でも思い出すのが、朝食に出された「ナス」の味噌汁。

朝作った味噌汁を夜も食べることになる。

ナスから色が出て、その時間には真っ黒になってしまっていた味噌汁。

ついつい箸が出なくなってしまった。

箸をつけないことになる。

オレの立場は居候。

叔母に「一生懸命作ったのに、何て子だ」となじらて怒られ、いまではすっかりナスの味噌汁は作らない。

一時は、ナスのお新香と触れていたキュウリのおしんこも食べなかったこともあったな。

そんなは出来事も思い出す彼岸だ。
2016/03/22(火) 10:38 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
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