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災害の恐ろしさをまざまざと見せ付けられたね。

阪神淡路大震災も東日本大震災もすべて怖い。

こんなに断続的に余震が続いたら生きた気がしないよね。

電気も無い、水も無い、ガスも来ないという状況で、数日間暮らさなければならない地獄。

一つだけ救えるとしたら、原子力発電所が近くに無く、トラブルを起こしていないことだ。

もし、これに原発の事故が重なったら、東日本のように復興が大幅に遅れることになる。

大きな津波を受けて、想像を超える被害にあった東日本だって、原発事故さえなかったら、もっと先に進んでいる。

改めて、原発を考え直すチャンスかもね。

日本に住んでいる以上、地震からは逃れれれない環境にあるのは分かっているから、対岸の火事と入ってられないのが現実だ。

熊本地震のように、震度6強、6弱、6強、6弱と東京で続いたら、どんなパニックが起きるのだろうか。

それと、中継しているリポーターが「屋根瓦が落ちてくるから気をつけましょう。垂れ下がった電線には、近づかないように」と、報告していたけど、被災地の人は間違いなく見ていないだろうと思ったよ。

テレビを見ている地域に、もし、同じような地震が起こったら、気をつけようというメッセージなんだろうな。
2016/04/18(月) 10:54 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
28年熊本地震で芸能情報を書く気になれないが、一つだけ気になったことがあったので、あえて書くことにした。

昨年の4月に肺がんで亡くなった夫で俳優の愛川欽也さん(享年80)の一周忌公演「愛川欽也メモリアルコンサート~ボクは、平和が一番大切だ~」を東京・目黒のキンケロシアターで行ったうつみ宮土理さん(72)。

昨年、激痩の姿で記者会見。

「愛川とは毎日笑い合って一日を過ごしていました。こんなに人生で悲しくつらく寂しい、愛おしくて一緒に同じ天国に逝ってしまいたいと何度も思いました」と、憔悴しきった様子を覗かせていたうつみさんが、愛川さんの最期を聞かれ「そういうことは言えますか? 悲しすぎてそんな質問は酷です」と涙を流し、毎晩、遺骨を抱いて寝ていることも告白していた。

あれから1年、体重も徐々に戻りつつ、健康を取り戻しているようにも見えたが「この一年間、短かったような、長かったような不思議な時の流れを感じていた。今は本当にまだ気持ちの整理がついていない」と、吐露。

まだ悲しみの中にいるようだった。

「段々と自分を取り戻しつつあるところ。いつまでも悲しんでいたらキンキンが喜ばないと思うので、前に進もう、前に進もうと言い聞かせているんです」と、心境を明かした。

で、オレは、この記者会見には行ってなかったけど、気になる出来事が置いていかれているような気がした。

遺産相続の問題だ。

オレは、愛川さんとうつみさんが、長野・軽井沢のコテージで不倫旅行している姿を直撃したことがあった。

その記事が切欠で、愛川さんは妻と別れることになり、うつみさんを選んだ。

略奪愛だった。

元妻にはふたりのお子さんがいた。

その相続問題があったから「元妻らを葬儀に呼ばなかった」と、報じられた。

この問題はどうなっているんだろう。

疑問が残った。

聞いてあげる優しさがあっても良かったんじゃないだろうか。

うつみさんが、仕事に戻ったときにまで、その問題が整理されていなかったらかわいそうだ。

そのための質問もある。
2016/04/18(月) 10:53 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
オレも東京・全日空ホテルで東日本大震災を経験し、電車も動かずに自宅に帰れなかったことを思い出した。

そして、直後から始まった余震で、震度4は怖くは無くなってしまった慣れを感じていたけれど、熊本の地震は、それをはるかに越えているね。

震源地が、熊本から大分に移っているようにも思える。

熊本、大分、福岡には多くの友人知人がいるが、みんなにことが心配だ。

特に震源地に近い熊本で生活している石橋薫さん。

まだ長女が生まれたばかりだ。

そして、その友達グループのリーダー的存在だった津野田淑ちゃん。

彼女も3月に女の子が生まれたばかりで宮崎・延岡に住んでいる。

福岡の音楽高校の同級生で、それぞれ違い大学に分かれていたようだが、オレが、福岡で仕事をすることになり、初めて同窓会を開く切欠になった。

リーダーが津野田さん。

ふたり以外とは、連絡が無かったが、皆さん福岡、大分、熊本だったから心配だね。

震度7以降、6強も6弱も続く。

生きた気がしないよね。

こんな恐ろしい出来事が、日本中で興るということは、やはり、地球が金属疲労を起こしているんだよね。

今、被災地になっている人たちのためにも地震が収まることを祈るばかり。

福岡、大阪と毎週のように出張が続いているオレも、ある日突然、家族とは会うことが出来ない日が来てしまうのか。

新幹線も東京・博多間が繋がらない、飛行機も離着陸できないとなったら、復旧するまでにはどのくらい掛かるかわからない。

毎日出掛けるときが、別れかもね。
2016/04/18(月) 10:50 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
火曜日に福岡に行った。

古くから付き合いがある沢柳企画の沢柳則明さんが、健康食品「元気な社長のちゅら花」のCMに市原悦子さんを出演させることになった。

沢ちゃんと市原さんは、ホントに親友。

過去に、市原さんには大手メーカーから健康食品のCM話が持ち込まれたこともあったが、市原さんは受けてこなかった。

金額じゃないのだ。

「自分が気に入らないものは受けない」と言う姿勢だ。

沢ちゃんが、知り合いの代理店に頼まれ、自分と市原さんの事務所のデスクで試してみたという。

「身体にいいのが分かったし、事務所のデスクは、その後も自前で買って利用しているというんだよ。それで、市原さんに話したら“沢柳ちゃんがいいならいいわ”と引き受けてくれた」と。

で、その打ち合わせ後にあった飲み会で、「元気な社長」をラジオでPRするためにRKBのラジ出演。

もちろんギャラも交通費も無い。

たった1回の出演だ。

「また来て欲しいですね」とスタッフが行っていたが、次に出演するときは、福岡行きの片道の航空券代を頂かなきゃ。

福岡放送に悪いよ。

福岡行きの交通費は全て福岡放送が出しているんだからね。

で、その市原さんのCMにオレも出演することになった。

これはさわちゃんとの友情。

金曜日に大阪の早朝番組があって帰宅。

金曜日に約束の仕事を片付けて、土曜日の夕方の便で福岡入り。

日曜日の午前中に収録が済んで午後の便で帰京。

月曜日は、レインボータウンFM「石川敏男の勝手に応援団長」の最終生放送。

約6年間続けてきたが、オレのスケジュールが代わったことでの降板。

社長の小嶋映治さんは「ホンネはまた続けて欲しいな。淋しくなるもの」と言ってくれた。

オレも演歌歌手との出会いがなくなるのは淋しくなると思うから、曜日を変えてすぐに始めてしまったりしてね。
2016/04/15(金) 14:13 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
熊本の震度7の地震で、大阪読売テレビ「す・またん」の芸能コーナーが、無くなると思っていたら、放送するという事になった。

当然、飛んだと思ったオレは、一晩中番組を見ていたことになる。

普段なら4時起きを考えて11時前には寝てしまうのだけど、何か新しいニュースが飛び込んでくるかもしれないと思ってしまう。

夜という暗闇の中だから、正確に情報は伝えられないのは分かっているが、震度7というとてつもなく大きな地震に、ついつい記者魂が芽生えてしまう。

熊本県民テレビのアナウンサーが、伝えている最中に震度6弱の余震があり、アナウンサーの身体が、左右に大きく揺れる姿に伝える記者も恐怖があるのだろうなと思ったね。

名前は分からなかったが、最初に出演していた熊本県民テレビのアナウンサーの落ち着いた伝えかたが上手だったな。

全く慌てるところが無かったもの。

前日に、福岡で出会った熊本県の森林組合のふたりは大丈夫立ったんだろうな。

名刺を交換しなかったから名前も肩書きも覚えていないが、友人の竹内さんが、森林組合の九州の会合があり、顔だけ出してということで、出会った人だ。

無事ならいいけどね。
2016/04/15(金) 14:11 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
この日のゲストは「風の中のクロニクル」を歌う多田周子さんだった。

兵庫県生まれ、京都芸術大学の声楽家を卒業して歌手の道に進んだ。

学生時代は、関西を中心にリポーターなどの仕事をこなしていたが、音楽活動に進む道を模索してきた。

「ドイツ語を習っていたので、ドイツ語の歌で卒業しようと思っていました。しかし、先生から『あなたの歌は、ドイツ語は分かるけど、心がこもっていない。それでは卒業できない。日本人なのだから日本の歌を歌いなさい』と言われ、めから鱗でした。アカペラで『ふるさと』を歌って卒業できました」と言う彼女の歌声は、伸びがあって爽やか。

日本を代表するような童謡や唱歌などをライブなどで歌ってきた。

昨年11月、秋元順子さんを世に送り出したプロダクションにスカウトされデビューすることになった。

「歌手を続けている以上は、自分の歌が持ちたかった。歌謡曲でも演歌でもない叙情歌。そんな歌を歌ってみたかったから、即、Okしました。いまは、楽しい毎日」と、デビューしてからは、月い一度は、東京・赤坂のライブバー「LADYBIRD」で月に一度、金曜日にライフを開いている。

「毎回満員になるんですよ。これからは、月に2回になりそうです」と言った彼女は、底抜けに明るい性格だ。

彼女の歌声を聞いていると、日本語の美しさを感じてしまう。

流行歌のpCDが売れなくなってしまったいま、彼女のような癒し形の声のCDの時代かもね。

彼女の歌声を聞きながら眠ると、いい目覚めが出来そうな気がするんだけど。

いつもは、テレビのスリープタイムを掛けながら寝るんだけど、これからは、彼女のCDを書けながら寝てみよう。
2016/04/12(火) 10:51 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
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