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茨城・荒川沖に住む友人から「東京にいますか?」と言う電話。

「いま品川にいるけど、まもなく帰る」とメールする。

「タクシーで迎えに行きます。神山さん(時々乗せていただく昔からの知り合い)で、連絡しました」と。

オレは、品川駅前の「GOOS」のバーにいた。

待てど暮らせど連絡が来ない。

電話をしてもでない。

神山さんに連絡したら「後ろで寝てますよ。もう高速に乗ってしまって」だって。

ふざけるな。

だったら連絡なんかして来るな。

で、怒りは頂点。

でも、オレはアホだから、二日たったら忘れてしまう。
2015/12/14(月) 10:43 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
大阪の早朝番組「す・またん」のリポーター、記者座談会の収録があった。

毎年恒例だが、とにかく賑やかだ。

テレビで見せられる視聴者はどう思うか分からないが、オレも含めて、この賑わいは嫌いだね。

川内天子、嵯峨聖子、あべかすみ、長谷川まさ子、菊池真由子に「週刊女性」の荒木田範文記者と言うメンバー。

名前を聞いただけで逃げたくなるような人たちだ。

オレも参加して、この7人で座談会。

纏まるわけがない。

約3時間しゃべっての収録。

この素材を編集するディレクターの苦労が分かるし、まとめることが出来たらホントに編集のプロだ。

情報番組のディレクターだけじゃなく、超一流のバラエティ番組のディレクターにもなれる。

で、普段口数の多いオレも、このメンバーにはいるとさすがに
無口。

みんなの側にいるだけでも怖いもの。

だから、このメンバーに囲み取材を申し込まれる芸能人の皆さんの恐怖も分かる。

オレだったら、絶対にこのメンバーの取材は受けたくないもの。

どんな編集がされるのか、とにかく、大阪ローカルで1月4日に放送される。

それにしても「す・またん」と言う番組は、よくこんなに恐ろしいリポーターを使っているね。

オレは付き合いきれないな(笑い)。

番組プロデューサーもディレクターも芸能デスクも偉い。

皆さんの忍耐強さに感激だ。
2015/12/14(月) 10:41 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
親戚付き合いしている埼玉・三郷の「ごくうラーメン」の清ちゃんが亡くなった。

ホントにピンコロ。

オレの理想のピンコロだった。

ラーメン屋の大将・米森さんから連絡を頂いたのは11月26日だったかな。

「清ちゃんが亡くなったんです」と。

聞くところによると、11月23日の午前3時に店が終わり、清ちゃんは仲間と飲みに行ったそうだ。

翌日が休みだから、恒例になっていたようだ。

そして翌日、大将の長男が、サザエを店で焼いていたところに清ちゃんが現れた。

サザエを食べて、また仲間と飲みに行ったらしい。

一軒目、2軒目とメンバーが変わった。寿司屋だったり、居酒屋だったりした。

そして、飲み続けた最後の店が焼く肉屋だったそうだ。

トイレに立った清ちゃんは、そこで前のめりに倒れてしまう。

仲間が慌てて救急車を呼んだ。

救急搬送された病院で死亡が確認された。

心不全だったようだ。

彼の身内を探したが、なかなか見つからず、兄弟と連絡が取れて、兄弟や大将一家ら7,8人で荼毘に付した。

そのお別れ会を8日に大将が開いた。

「夕方6時から、小さな祭壇を作って、知り合いに焼香してもらおうと思って。最終電車が到着する後まで開けて起きます」と、大将から連絡が来た。

この人は恩とにいい人で、人望も厚い。

オレも10時過ぎにお線香をあげに行った。

オレも大将も清ちゃんには長く付き合っている彼女がいたと思っていた。

「2年前に別れていたみたい。なのに、なくなる前日も“帰って犬の散歩させなきゃ”何て言っていて。別れたこといえなかったのかな。清ちゃんの携帯に入っていた連絡先にメールをしたけど、無しの礫だった」と、大将。

見栄を張っていたのかな。

弔問のお客さんが切れず、翌日福岡に行く仕事があるオレも、仕事を忘れて深夜場で付き合ってしまった。

そして、オレの大親友だったラジオディレクター・古田和広さんが、あの世でも食べるのにも困っている姿を見かけたら「清ちゃんが作る美味しい中華料理を食べさせてあげてね」と、お願いした。

古田さんが亡くなって5年はたったかな。

古田さんは、清ちゃんが作る中華料理が好きだったからね。
2015/12/10(木) 11:01 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
今週ぐらい多くの芸能人に会った週は無いかも知れない。

先週の土曜日、甥っ子を連れて中山競馬場に行った。

キタサンブラックと言う馬で、今年の「菊花賞」を勝ったことでも有名な北島三郎さんが競馬場に来ていた。

北島さんの2歳愛馬が、初めてレースに出走。第3コーナーで、後ろにいた馬が、直線だけで、馬込みを割って抜け出してきて1着。

そのウイナーズサークルに北島さんがいた。

スタンドから観ていたオレは、北島さんの元に走った。

ウイナーズサークルでは会えなかったが、その後の貴賓室に向かう北島さんに会えた。

「あれ、どうなっちゃったの、と思っていたら凄い脚だったね」と嬉しそうな北島さん。

「この後、阪神でも使っているから」と、別れたが、残念ながら、その後の馬は馬券に絡むことはなかった。

そして、月曜日。

新橋演舞場で「舟木一夫特別公演」だ。

恒例になっている舟木さんとのトークショー。

新橋演舞場の花道を駆け巡る芝居で、いつまでもお若い。

ステージの上に綺麗に並ぶファンからの贈り物。

12月12日は、71歳の誕生日だから、ステージの上のプレゼント用の台は、乗り切らないほどになるんだろうな。

そして、気が付いたことがあった。

舟木さんのヒット曲は、年を重ねてきた人とピンポイントで繋がる曲が多いという事。

「高校三年生」を歌えば、ファンも高校三年生を思い出す。

「学園広場」を歌えが、その時代の戻れる。

橋幸夫さんの「潮来笠」や都はるみさんの「アンコ椿は恋の花」などは、その時代に戻れるが、幅が広い。

だから、舟木さんのヒット曲は、より身近に感じられるんだろうということ。

その夜、「ビーライン」という会社のイベントが、東京プリンスホテルで開かれた。

水素水を作る機械を販売している会社で急成長している。

このディナーショーのゲストが山本リンダさんだった。

とにかく凄い。

60ン才というお歳で、ホットパンツを穿き、あのヒット曲「狙い撃ち」をステージ狭しと♪ウララ、ウララ、ウラウラよ~と踊りまくる。

あの独特の舌っ足らずの話し方も変わらない。

何処のあのパワーがあるんだろうか。

で、火曜日は、創立48年目を迎えている大手興行会社「アイエス」の忘年会。

こちらも業界関係者で一杯だった。

そんな中で、まずは三田明さんにご挨拶。

オレのラジオ番組「勝手に演歌応援団長」に出演してくれることになった。

そして、西郷輝彦さん。

「元気?」と声を掛けられて、西郷さんも元気そうに見えた。

平尾昌章さんは「僕は歌手なのに、歌手と思っている人がいなくなった。歌手ですから歌いたいな」だって。

小柳ルミ子さんの「わたしの城下町」、五木ひろしさんの「よこはまたそがれ」、アグネスチャンの「草原の輝き」などの大ヒット曲の作曲家として有名だが、「星は何でも知っている」「ミヨちゃん」などを歌って大ヒット。

米国のカヴァー曲「ダイアナ」「悲しきインディアン」「恋の片道切符」の大ヒットさせた歌手だ。

「去年は、病気になってしまいましたが、いまは大丈夫です。元気になりました」と言っていたが、皆さんは、ホントに元気。

なかなか会えない人に会えて良かった一週間だったな。
2015/12/10(木) 10:59 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
朝8時の飛行機で帰ってきたから眠い。

そして、この日の最後が東京プリンスホテルでの山本リンダの歌謡ショーだ。

64歳だとは思えないパワーだった。

年齢はウキペディア調べ。

ホットパンツで♪ウララ ウララ、ウラウラよ~とステージを駆け回り、まったく息切れを見せない。

アメリカ人の父と日本人の母の間で北九州小倉で生まれたリンダさん。

15歳で「困っちゃうな」でデビュー。

あっという間にアイドルになり、翌年にはNHK「紅白歌合戦」の出場する。

舌っ足らずの話し声が受けでアイドルになったのだが、いまだに、当時の雰囲気が残っているのが面白い。

その後ヒット曲に恵まれなかったが、90年代にリバイバルブームが到来して再びテレビでも見かけるようになった、50歳のときに7歳年上の大学教授と結婚した。

結婚生活の話は出てこないが、デビュー当時の衣装で、ステージ狭しと踊り続けるスタイルは、昔も今も変わらない。

60歳のおばあさんの須郷迫力だ。

スタイルだって、とても年齢には見えない。

涙ぐましい努力をしているんだろうな。

オレなんか、チョット油断するとすぐ太ってしまって、またウエストが97センチになってしまったもの。

最近は、シャンソンを歌っていつと言うリンダさんだけど、お客さんは、まだまだ、♪ウララ~を聞きたいんだよね。

で、ここでお仕舞いだと思ったら、女性週刊誌記者から電話。

久々に銀座で飲むことになった。

頭に浮かんだニュースが合ったけど、トイレに入った瞬間に忘れてしまった。

それがなんだったのか、いまだに思い出せない。

それが原因で、酒を飲んでいたのに、あまり眠れなかった。

もう、思い出すことはないんだろうな。

今夜も大手プロダクションの忘年会だ。
2015/12/08(火) 11:02 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
ラジオのゲストは、内モンゴル出身の歌手・オルリコさん。

中国西北民族学院で舞踊を習った。

在学中は、ドイツ、フランス、オランダなどのヨーロッパ公園にも参加した。

03年に日本に来日。

「勉強をして、地元に帰って事務員になろうと思っていたんですよ。母親はモンゴル民族舞踊家として日本で生活していたし、妹・イラーナも馬頭琴の奏者として日本で活躍していた。日本のテレビで『紅白歌合戦』を観て、日本の歌は素晴らしいと思ったんです」と、妹さんが、レコード会社に掛け合って、歌を聞いてもらえるようになった。

スカウトしてくれる事務所があってレッスンに通った。

そしてレコード会社のオーディションに挑戦。

10年に「ひぐらしの坂」で、念願のデビューだ。

亡くなったテレサ・テンさんを髣髴させる様な声と雰囲気が魅力歌手だ。

「似てると言われるのは嬉しい」と素直に喜んだオルリコさん。

新曲「あなたのとなりには」という歌も、伸びのあるきれいな声だ。

「親戚は、モンゴルで遊牧民をしています。日本に来て一番の楽しみは温泉。モンゴルは、基本的にシャワーですから」と言うぐらい、温泉にはまっているそうだ。

母と妹との3人暮らし。

相撲の世界のモンゴル人は日本語が上手い。

12年もいるオルリコさんの日本語は、いまいち。

自宅ではモンゴル語が主流と言うのが影響している。

「相撲の人は、周りは全て日本人。だから上手くなるんですよね。ハッキリした日本語を話したい」と、言っていたが、片言も味があっていいかも。

で、テレサ・テンさんのファンは一杯いるんだから、テレサに似てると言うのを営業に結び付けられれば、彼女の歌も大ヒットする。

NHK「歌謡コンサート」やテレビ東京の「木曜八時のコンサート」で、テレサの歌を歌わせてもらえれば、火が付くと思うんだけどな。

申しわくないが、その前のダイエット、ダイエット。
2015/12/08(火) 11:00 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
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